…花梨は細く息をつく。
いま、自分の胎に在る様々な感情を、外へと吐き出すかのように。
それでも、胸を刺す鈍い痛みはいっこうに無くなりはしなかった。
もう自分にはアクラムの意思を変えることは出来ないのだと判っていても、彼に手を振り上げようとしている自分は結局、彼を「京に仇為す存在」として否定し、力ずくで排除しようとしているのに過ぎないのではないかという呵責が、自分自身を責め立てる。
そこへ、彼女の胎に渦巻くものを見透かしたかのように、アクラムが凍えた声を花梨に投げつける。
「…どうした?今更、その手を振り下ろすのが怖くなったのか」
「…!!」
弾かれるように瞳を開き、眼差しを強めた花梨の反応を、侮辱に対する怒りと取ったのか、探るような視線が彼女へと向けられる。
…ややあって零れたのは、低い呟き。
「それともそれも神子としての哀れみか。…くだらぬな」
追い打ちをかけるように降ってきた、吐き捨てるかのように突き放したその声が、花梨の胎に響き ――― それを認識するにつれ、ゆっくりと、心の中に滾っていた苛立ちやもどかしさが冷えてゆく。
その白い顔に、ふ、と苦い笑いが浮かぶ。
…心は驚くほど落ち着いていた。
けれど微かな虚しさが、心の片隅をすり抜ける。
どんなに理解したい、助けたいと思っても、紡げば紡ぐほど言葉は空回りし、思いは受け入れられることのないまま、儚く空へと消え去ってゆく。
その動かし難い現実に、彼と自分達との間には埋めがたい深い谷底が広がっているのだという事を、はっきりと悟らずにはいられなかった。
…だが、どこかで安堵してもいた。
そのひとが何かを求めているのだとしても、自分にそれを語ろうとしない以上、自分が彼の望みを叶えられないとしても仕方がないのだ、と。
…――― いや…違う。
本当は「仕方がない」などと思いたいわけではない。
諦めたいわけではない。
けれどもう、自分達の路は決して交わることはないのだと、解ってしまったから。
今この時も、その表情を、その心を覆い隠す仮面を取ろうとしない事こそが、そのひとの意思なのだと。
同じように言葉を紡いでいながら、まるで全く意味の異なる言葉を操っているかのように、自分の言葉が ――― 声が、思いが伝わり、聞き入れられる事はなく、彼もまたその本心を決して自分達に晒そうとはしない。
…そこに聳り立つ、どうすることも出来ない「拒絶」と「否定」の壁。
その壁を崩すことは、もう自分には出来ない…。
…自分の中に重く沈んでゆくその一言に、再び俯きかけた少女の肩に、不意に僅かに力が掛かった。
そこに添えられた手から、傍らにいてくれる人の想いと共に、何故か温かさが衣越しに染み入ってくるようで…それが花梨の固く凝っていた心を柔らかく溶かしてゆくのを感じる。
それを自覚した瞬間、膝から力が抜けそうな感覚が躰の奥から込み上げて来、それを堪えるように花梨はぐっと唇を引き結ぶ。
――― それまでずっと黙したまま成り行きを見守っていた泰継は、そんな彼女の横顔に気遣うような視線を送り ――― そしてそれまでとは打って変わった険しさの混じる表情で、眼前に悠然と佇むアクラムの姿を見据える。
「今すぐこの場より去れ。…お前などに、もう神子を傷つけさせはしない」
「…ひとならぬ者の忠誠心、といったところか。それほどに神子の歓心が欲しいか。…浅ましいものよ」
じっと感情を窺わせない眼差しを泰継ただひとりへと注ぎながら、アクラムがそう言い捨てる。
遙かな高みから見下ろすかのような超越者の如き視線に、泰継が射抜くような鋭い瞳を向けた。
「浅ましいのはお前の方だ。得られぬものを望み、得られぬから滅ぼす。己以外は何もかも、モノとしてしか見られぬ…その愚かさにも気付かぬとは」
嘲るようなアクラムに切り返す泰継の口調は、これまで聞いたこともない程、烈しい。
それと共に、交わされる視線も静かながらも厳しさを増す。
「――― これ以上、話す事など無い。去らぬというのなら、私の力の全てでもってお前を倒すまで」
「己を賭けて神子を護ると?だがその程度の力でいま一度、神子を護りきれるとでも思っているのか?…しかもお前の“主”はいまだに私を「敵」だとは認めたくないようだぞ」
僅かに嘲笑を含んで響くその言葉に泰継は一瞬微かに眉を顰めたが、すぐにそれを白皙の面から消し去った。
「…何とでも言うがいい。私は私の意思で神子を護る。いつまでも過去と現の区別も付かぬ亡霊などに用はない」
深い響きの声が迷い無く、決然とそう言い放つ。
――――― と、目前のアクラムの気配が、瞬時にすっ、と冷たく凍えたものへと変化した。
「…邪魔だな」
引き結ばれていた薄い唇から、ぽつりと小さな呟きが洩れる。
「その顔、その声 ――― 何もかもが目障りだ。龍神の神子がいなくば役にも立たぬ、ひとならぬ者が、“己の意思で神子を護る”などとは笑わせる…」
「………」
泰継は何も答えない。激することも無く、ただ無言のままアクラムの前に佇みながら、全身から己の意思を真っ直ぐに叩きつけてくる。
その姿がアクラムの胎の何かに触れたのか、仮面で半ば覆われたその面に如実に苛立ちの気配が現れた。
「…お前こそ、失せるがよい。八葉如きの指図など受けぬわ」
不快さも露わな声でそう吐き捨てるアクラムの背後で、その気に触発されたように傍を漂う闇い靄が、意思有るもののように妖しく揺れた。
鋭く、交錯する視線。
――― そうして異なる色合いの瞳を互いに外さぬまま、見えない意思を烈しくぶつけ合っているかのように、凍りつくような沈黙が落ちる。
その遣り取りを見ていた花梨は、その二人の姿を視界から消すように固く、瞳を閉じた。
まるで自身の心を見つめようとするかのように。
その唇から小さな吐息がゆるゆると吐き出され…。
暫しの後、ゆっくりと瞼を押し上げると、意を決したようにきゅっと傍らの泰継の狩衣を掴んだ。
彼女を案ずる気配の混じる、問うような眼差しを向けてくる泰継に、花梨は強い意思を秘めた表情で応える。
「――― 泰継さん、お願い。私に、力を貸して下さい…」
決して大きくはないが、芯の通った力有る、その声。
――――― いま、彼女が心を定めたことを、その声と向けられる眼差しから泰継は読みとる。
…泰継は美しい面に自信に満ちた柔らかな笑みを浮かべた。
「無論だ。私の力もこの身も、全てお前の為に在るのだから。お前が望む限り、共に在ろう」
「――― はい」
泰継のいらえに花梨はふわりと微笑むと、その存在と想いが確かに其処に在る事を確かめるかのように彼の手を取った。
そして毅(つよ)く揺るぎない瞳をアクラムの方へと向ける。
――― それは、互いの足場を分かつ、決別の視線。
いま、自分に判っているのは、“自分が白龍の力を振るう事をアクラムが望んでいる”ということ。ただそれだけ。
その思いの行き着く処が何処なのかすら判らない。
何故、それほどまでに自分の白龍の力を求めるのか…。
けれど、これまでだって何かを決め、行動する前に判っていたものなど、殆ど無かった。
それでも、いつもどうすればいいのか判らずに迷いながらも、自分はここまで歩いてきたのだ。
今、この場でも傍で支えてくれている人たちと一緒に。
ただ…自分達が信じた路を、その心のままに。
彼らがいたからこそ、自分はここまで歩いてこられたのだと、思う。
――― そんなかけがえのない人達の心を、裏切りたくはない。
ただ闇雲に力を振るうのではなく、何も判らないまま、アクラムの望みに引きずられるのでもなく。
自分にとって大切なものを“護る”為に、自分の中の白龍の力を使いたい。
そして、何かを“護る”為の力は、決して誰も傷つけたりはしないと、信じたい。
…たとえそれが、自分の護りたいものの滅びを導こうとしている者であっても。
だから―――…。
「本当は、誰も傷つけたくなんかない。――― でも…あなたが本当はどんな望みの為に、私の力を必要としているのか判らないけれど、私にも「神子」としてじゃなく、私自身にとって大切な、無くしたくないものがある。…だから…」
花梨は毅く、だが何処か哀しげに微笑んだ。
「あなたが京を滅ぼすと言うのなら、私は、私の護りたいもののために…戦う」
「諦めぬ、ということか。滅びゆく流れにあくまでも逆らうと…。――― ならばやってみるがいい、白龍の神子」
何処か満足げにも聞こえる声でそう答え、アクラムはうっすらと唇を歪めた。
――――― 途端、その背後で一際大きな雷鳴が轟き、生木を裂くような激しい音と共に、一瞬、辺りが視界を焼くほどの真っ白な光に染め変えられた。
背から禍々しく不吉な白光を受け、アクラムの零れ落ちている幾筋かの金の髪が煌き、その輪郭をくっきりと闇の中に浮かび上がらせる。
「――― 時は満ちた」
審判のように朗々とした声が響く。
「歪みに力を…形を与えよう。
我が身の胎に宿る、百年の昔よりの一族の思念を…その憎悪を、絶望を、悲哀を
その糧とするがいい」
そう言い終わるや否や、アクラムは優雅にその左手を宙に掲げた。
その掌に再び生み出された穢れを帯びた力の塊に、圧倒的な勢いで辺りから黒々とした靄が集結し、瞬きもせぬうちに、その胎に彼を取り込み、凄まじい瘴気を発しながら膨れあがってゆく。
…――― そして生まれ出づる、異形。
それは、ひとの抱く“絶望”の念が凝った、純粋な“滅び”の力 ―――…。
その光景に花梨は反射的に声を上げかけ、すんでの所で呑み込んだ。
そして、唇を噛みしめる。
…これが、彼の選んだ路だというのだろうか。
――― けれど、その事を考えても判るはずもない。
いま、ここにはその問いに答える者はいないのだから。
それなら、いま自分に出来る事、しなければならない事をするしかない。
何としてもあの異形…百鬼夜行を鎮めなければ。
そんな彼女の内心を悟ったように双色の瞳を向けてくる泰継と視線を合わせ、花梨は一つ頷いた。
「行きましょう、泰継さん」
そう、百鬼夜行を封じ、その穢れを浄化する為に。
「わかった」
簡潔に頷きを返すのと同時に、すっと泰継の周囲の気が高まり、緊張するのを肌で感じながら、花梨もまた百鬼夜行に意識を集中させようとする。
と、その時、地に腰を落としたきり、それまで一言も話すことも出来ずにいた千歳が、唐突に花梨の腕を掴んだ。
その思いもよらない強さに驚いて振り向いた花梨を、千歳の黒みがかった瞳が必死な様子で見上げる。
そして、力無く頭を振った。
「…だめよ。あれは、気を呑む。八葉の気も神子の気も、みんな…。そしてその取り込んだ気の力で、もっと強大になってしまう…」
消え入るように頼りない声で告げられた内容に、一瞬、二人の動きが止まる。
「…そうか。では、闇雲に向かう事に意味は無いのだな」
「そんなっ…」
声音は常と変わらないながらも、ならば他に何か術はないのか、というように困惑と僅かな焦りを滲ませた表情を浮かべる泰継に、花梨は大きく顔を歪ませる。
ここまで来て、諦めたくはない。
まだ何も終わってしまってはいないし、終わらせたくなどない。
諦めることこそが真の“終わり”だ。
しかもひとびとの生み出したありとあらゆる“絶望”の想念の渦に呑まれて全てが喪われるなど…。
それでは、誰一人として救われない。
…だが、それを避けるには一体どうしたらよいのか ―――…。
「私…私が、黒龍の力で京の気を止めたりしたから…!でも私には、もう止める力が…っ」
千歳の悲痛な声が辺りを震わせる。
そんな千歳に何の声もかけることも出来ないまま、焦りと不安に高鳴る鼓動を抑えながら百鬼夜行に視線を遣った花梨の脳裏を、ふっといつか聞いた、アクラムの言葉が過ぎった。
“アレは、ひとの力などでは太刀打ち出来ぬ。龍神 ――― “神”の力を以ってすれば、或いは祓えるかもしれんがな”
「私が…龍神を喚べば、何とかなるかもしれない…」
脳裏に響いた声に引かれるように、ぽつりと呟いた花梨の声に項垂れていた千歳が驚いたように顔を上げる。
「まさか…本当に、喚ぶつもり…なの?」
「……………」
千歳の問いに、すぐに答えることは出来なかった。
彼女がそう問うた理由は解る。
同じく龍神の神子である彼女には解るのだろう。“龍神を召喚する”事の意味が。
それがどれほど危険な賭であるかということが。
しかも、それで確実に百鬼夜行が祓える、という保証があるわけでもないのだから…。
――― そしてもう一つ…アクラムは何故、龍神のことを花梨に告げたのか。
それが彼の望みに繋がると、そういう事なのだろうか。
…それならば、もしかしたら龍神を喚ぶこと、は…。
そんな事を思って急に微かな不安を覚え、一瞬迷いかけた自分を追い払うように、花梨はぐっと歯を噛みしめる。
“それでも…。アクラム、今はあなたの言葉を信じたい”
たとえあの言葉が、自分達の「京を護りたい」という思いとは違う処から紡がれたのだとしても。
そして自分に力を振るわせ、或いは白龍を喚ばせる目的が別にあるのだとしても。
自分の願いが叶うことが彼の「望み」にも繋がると、かつてそう言った時のその澄んだ静穏な眼差しを。
その瞳に偽りは無いと…最期まで語られることの無かった、彼のその本当の「望み」は決して邪なものではないと感じた自分自身を、信じたい。
それに ―――。
…花梨はそっと傍らの泰継を見上げる。
いつも、どんな時もずっと傍にいてくれたひと。
「彼」という存在が消えるかもしれないという不安の中に自身が在ったその時ですら。
そして今も…彼はずっと待っていてくれた。
花梨が、自分なりの結論を出すのを、信じて待ってくれていた。
そうしてただ“信じて見護る”という事が、一体どんなに難しいことか…。
そう思うと温かいけれど苦しいような気持ちに襲われる。
瞼の裏が徐々に熱くなってくるようで、慌てて花梨は瞳を瞬かせる。
自分達は私を信じているから。だから私は私自身を信じて、進めばいいのだと、そう言ってくれたひと。
でも本当は、このひとが私を信じてくれていると思うから、私はそんな私自身を信じられる…。
だから私は、このひとを…信じてくれた人達を護る。そしてこのひとがいま在るこの場所を。自分達が初めて出逢って、これまで歩んできた、この場所を。
これからもずっと…大切なひとと一緒に生きてゆくために。
たとえそれが自分勝手な自己満足だと言われたとしても、それこそが今、自分がこの身の胎の力全てを賭けても京を救いたいと思う理由だ。
その為にも、いま、京が歩もうとしている“絶望の向こう”にあるものが“滅び”だというのなら、それを変えてみせる。絶望の果てにあるものは「闇」ばかりではないのだと。
――― その望みが龍の力を振るうに相応しいか否か、決めるのは自分ではなく、龍神という名の“神”だ。
だからこそ、私は祈りたい。
この願いが届くことを信じて ―――…。
「…決めたのか」
毅い意思を秘めて見上げてくる瞳に、思わずそんな言葉が泰継の唇から零れ落ちる。
――― 答えなど、聞かずとも判っている。
どれほど迷い、悩んでも、最後には彼女は自分の取るべき路から目を背けはしないだろう。
…たとえどんなに止めたとしても。
それが彼女が彼女たる所以なのだから。
そして彼女が決めたというのなら…自分には止められない。
それも、自分はもう解っている。
それは、自分が京を護るべき「龍神の神子」を護る「八葉」だからではなく、「彼女の願いを叶える」と、そう誓ったからでもなく。
ただあまりにも、花梨の抱く願いが浄すぎるから ―――…。
泰継は見上げる若草色の双眸から逃れるように僅かに顔を逸らす。
…それでも。
「…何故、私は不完全なのだ…。お前を助ける力が無ければ、何の意味も無いのに…!」
堪えきれない想いが、唇を震わせる。
その言葉と表情に胸を突かれた花梨は、同時に何故か既視感をも覚え、言葉も忘れてじっと彼を見つめた。
…そこに込められた泰継の想いが、彼女の奥深くに眠っていた記憶を甦らせる。
“…――― 私には、お前しかいないのに ―――…!”
かつて聞いた筈の、記憶の底に封じられていた言葉が、不意に胸の中に響き渡る。
そして押し寄せる胸が痛くなるほどに切ない気持ち…。
胸の内に込み上げてきたものを噛みしめるように、花梨は俯くと眼を瞑る。
今、漸く思い出した。
最後の物忌みの日、朦朧として白龍に意識を取り込まれそうになった自分を呼び戻してくれた、彼の声。その時の言葉、そして想い。
双龍の意識と自分自身の意識、それらを一度に受け入れてしまった衝撃で、今まではその時に一体何があったのか、思い出すことは出来なかった。
それでも、意識の戻った自分の前で彼が見せた、強い不安と安堵の入り交じった表情が、強く心に焼き付いている何かを揺さぶって、知らず胸が苦しくなった。
――― そしていま、その全てが、自分に向けて発された、抑え続けていた彼の想いを秘めた言葉を受けて鮮明になる。
あの日交わした会話。
そこに込めた自分の不安や恐怖、願い。
それに応えてくれたひとの真摯な表情。向かい合う眼差しの奥の揺らめき。
…そして白龍が自分に告げたこと。
その想いで「花梨」という存在を繋ぎ止めてくれたそのひととの絆こそが、
自分に力を与えるのだと。
龍の気をその身に受け入れてもなお、耐え得るだけの力を ―――…。
「前の物忌みの時…。あの時、呼んでくれましたよね。私のこと…」
小さく零れた囁きに、泰継は微かに眉根を寄せ…ややあってその言葉の意味することに思い至ったのか、瞳を見開いた。
その時の事を彼女が今、思い出したことだけでなく、自分の声が届いていた事も思いもよらなかったのかもしれない。
そんな泰継の手を両手で包み込むように花梨は握る。
「私、この場所を、みんなを護りたい。そしてこれからも泰継さんと一緒にいたい…。その為にはもう、龍神を喚ぶしか…。でも、きっと戻れるって信じたい。諦めたくないんです。…だから…」
そこでふっと顔を上げると、澄んだ微笑みを浮かべる。
「…呼んで下さい。あの時みたいに。そうしたら、きっと還ってこられる…」
言葉と共に、花梨の想いが緩やかに泰継の中に染み通ってゆく。
それにつれ、苦しげな深い想いを宿していた眼差しが次第に澄んだ輝きを取り戻し、そして…。
見つめ返す双色の瞳が、彼女の想いの全てを悟ったかのように、優しく、毅く輝く。
握られている、温もりを伝える手に力が籠もった。
“――― 大丈夫だ”と励ますように。
「判った。私の全てを以て、お前を必ず護る。…だからお前はその力で、お前の願いを叶えればいい。その願いは ――― 私の願いでもあるから…」
深く染み通る声が、力となって彼女の胎を満たす。
花梨は視線を合わせたまま、言葉で答える代わりに、柔らかな毅い微笑と共に、ただ一つ大きく頷く。
………その様子を静かに見つめていた千歳は、不意に自分の胸に両手を重ね合わせると、瞳を伏せて意識を凝らしはじめた。
その華奢な体からふわっと立ち上った熱気に、花梨が振り向いた。
自身の発する熱気に黒髪を煽られながら、白い頬に睫毛の影を落とす千歳のその手の内からぽうっと光が生まれ、細い指の隙間から淡色の暖かい光を辺りへと振り蒔きながら、次第に大きく膨れあがってゆく。
ややあって千歳は両目を開くと、手の内の光を一瞬見つめ、そしてその光の珠を掌で包み込むようにしながら、その様子に見入っていた花梨の方へとそっと差し出した。
「千歳…?」
眩い光の照り返しを受けて栗色に透ける双眸と、不思議そうに瞠られた若草色の瞳が交わされる。
…花梨へ向けられている儚げな面に泣きそうな微笑みが浮かんだ。
「私の力…黒龍の神子の力を、あなたに託すわ。あなたなら、きっと…」
言い尽くせない思いと共に凝縮された千歳の力の結晶を、花梨は大切に護るように受け取った。
「…ありがとう、千歳…」
そしてもう一度、花梨はゆっくりと瞼を閉じる。
心を澄ませ、ただ一つの願いだけを胸に抱いて。
“――――― どうか、届いて…私の…私達の声を聞いて…。”
花梨の紡ぐ祈りがその躰から白い光となって溢れ出し、ゆっくりと辺りに充ちてゆく。
それと共に胸に抱いた結晶からも淡色の光が彼女の躰を覆うように広がり始める。
その千歳の力と花梨の胎から発される力が宙で合わさり、カッと眩い閃光を発すると、金色の光の柱となって立ち上った。
そしてそれは一瞬のうちに、天への階を築き上げる。
…金色の柱が暗雲の彼方に吸い込まれるように消えた一呼吸の後、それに応えるかのように、闇く閉ざされた天を裂き、一条の白銀の光が地上へと真っ直ぐに降りてくる。
一心に祈る、一人の少女めがけて。
――― どこまでも清浄な眩い光が、花梨の全身に降り注ぐ。
“…――――― そなた達の祈りは我に届いた。叶えよう、神子。その願いを…。”
暖かく、優しい光に包まれながら、薄れゆく意識の中で、花梨は龍神の声を聴いたような気がした…。
To be continued….
2001.12.28(FRI)UP.