《 参 》





 …――― それからの出来事は、よく覚えてはいない。

 珠紀にとって、それはまるで悪夢のような出来事だった。
 しかし当の守護者達は、その時何が起こったのかすら、まるで判らなかった。一瞬のうちにそれは始まっており、理性が現実を理解する前に総ては終わっていた。そうして祐一も卓も拓磨も、殆ど為す術も無く次々と昏倒していった。

 真弘もまた、状況を正確に把握してはいなかった。目の前で慎司が茫然とした表情を浮かべたまま倒れてゆくのに思わず声を上げ、…気がついた時には死神の攻撃が自身の下腹に叩き込まれ、与えられた衝撃に瞬間、息が止まった。しかし痛覚が痛みを知覚する間も無く、躰が吹き飛ばされるのを認識する。
 自分の躰がその後どうなったのかさえ、記憶には残っていなかった。恐らく激しく地面に叩きつけられた筈なのに、落下の痛みすらも全く覚えていない。ただ、痺れるような熱さに躰中が火照っていたような、奇妙な感覚だけが刻まれている。











 …その後数瞬の間、攻撃を受けた衝撃で真弘は気を失っていたのかもしれない。
 そして、ふと気づいた時には ――― 朦朧とした意識のまま見上げた瞳の前に、長い黒髪を靡かせて佇む小柄な人影が、在った。











§









 何故、こんな時に限って震えていないのかと、視界に映るその姿にぼんやりと真弘は思う。



 いや ――― 違う。
 …震えて、いた。ほんの微かに。



 だが少女の気迫は凄まじく、そのような気配は微塵も感じさせない。

 常ならば、精一杯の強がりで押し隠しながらも、身も竦む程の恐怖に躰を強張らせている珠紀。
 幾ら玉依姫の血を継ぐ者とはいえ、あれだけ強力な霊符を、しかも立て続けに行使した彼女にはもう、霊力はおろか、立っている気力も体力も全く無い筈だった。

 それなのに少女は。
 自身を護る術も彼女を護るべき者も無い、たった独りの孤立無援の状態で、それでも。
















「この人たちを、殺したら! 私がお前たちを殺してやる!!」

















 言葉そのものに呪力を込めるかのように、鋭く、力在る声が闇を切り裂いて響く。
 彼らがその気になれば一瞬で摘み取られてしまうだろう命。その無力で華奢な躰を、身も凍り付きそうな敵意に曝しながら。
 やがて訪れる絶望的な運命を、それでも決してこのまま認めはしないという、その、願いよりも祈りよりもなお強い意志のみで己を奮い立たせて。
 両手を広げ、自分達を庇うように立ち、敵を敢然と睨みつけている。
 一瞬でも目を逸らせば、その瞬間に自分達の命が消えてしまうとでも言うかのように。

 …否、今この場ではそれは可能性などでは無く、絶対的な事実だった。
 それでも ――― いやだからこそ珠紀は、決して退こうとはせず、ただ己の意志を叩きつけている。





 痛い程の緊張を孕む夜の静寂に、アインがざり、と小石を踏みしめる音が響く。
 瞬間、びくりと目に見えて少女の細い肩が震えた。
 それでも珠紀はぐっと唇を引き結び、一歩も退かずにその男を見据える。
















――――― コロサレル。

珠紀が(・・・)


あの命が ――― 消える。

















 理性が、やがて齎される破滅をそう脳裏に囁いた次の瞬間、躰の奥に灼けるような熱が迸り、胸の裡で感情が破裂するように膨れ上がり、声無き声で叫ぶ。

 ――― それきり、真弘の意識は、途絶えた。











§









 …――― 夢を、見ていた。

 靄がかかったように霞む視界に、淡く射し掛かる影。朧に感じる温かな気配が、包み込むように自分に触れている。
 そして、泣き声。










“ ごめんなさい…。 ”











 細く、弱々しい声音が耳朶を打つ。
 自分がよく知る少女の、だが今まで耳にした事のないその響き。

 ごめんなさい、とその声は繰り返す。深い悔恨を滲ませる声が、微かに震える気配が、夜気を揺らす。

 全身が鉛のように重かった。躰のあちこちが貫くような鋭い激痛に不意に襲われ、まともに息を吐く事すらままならない。躰中の力を奪い取られたかのように、指一本動かす事も出来ず、ともすれば意識は深い泥のような闇に呑み込まれそうになる。
 ぼんやりと視線を廻らせた先に広がるのは幾重にも茂る深い森の木々の枝葉。その合間から覗く宵闇に、降るような星の光が瞬いている。
 背中に当たる固く湿った土の感触に、何故、自分はこんな所にいるのだろうと朧な意識の中で思い、漸く真弘の思考は、つい先ほどまでの闘いに思い至った。

 辺りには既に闘いの余韻は無く、ただ、夜風がさわさわと草を揺らす音と涼しげに羽を震わせる虫の音、そしてその合間を縫うように傍らに響くか細い嗚咽だけが静寂に落ちる。




 ………生きている。




 不意に真弘の胸にそんな言葉が浮かぶ。

 生きている。彼女も、自分も。
 闘いは終わり、ロゴスは去ったのだ。




 その実感がじわじわと脳裏に滲み渡り、強張っていた躰が緩んでいく。そこで初めて真弘は自分が如何に緊張していたのかを知る。死などとうに覚悟していた筈の自分が。
 同時に言いようの無い安堵が彼の裡を満たし。




  ――― 次の瞬間、真弘はそんな己自身を激しく嫌悪する。
















“ 私が ――― 何も知らずに、戦う、なんて言ったから…。
…誰か、誰でもいい、どうかお願いだから、みんなを、助けて…!! ”

















 秋風に揺れる草葉の音と虫の音の他、動くものとて無い宵闇。
 その静寂に悲痛な少女の ――― 珠紀の慟哭だけが、ひっそりと、落ちた。


















【 …To be Continued. 】





2006.9.27(WED)UP.


< Written by Yuki Kugami. 2004-. / Site 【 月晶華 】 >






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