雪華 § 「わあっ、すごーい!」 歓声を上げるあかねを、友雅が穏やかに笑んで見つめている。 冬の、穏やかな一日‥‥‥。 熱を出して臥せっていたあかねの体調もすっかり良くなり、友雅は彼女に請われて双ヶ丘に来ていた。 ここ数日降り続いていた雪のおかげで、辺りは一面の銀世界だ。地平線が久しぶりに顔を出した陽の光を反射して、キラキラと光る。まだ誰も足を踏み入れていない、真っ白な雪原にそうっと足跡を付けて、あかねが嬉しそうに笑った。 あまりにも嬉しそうにはしゃぐので、友雅が思わず声を漏らした。すると、それを聞きとがめたあかねがぷうっと頬を膨らませて友雅に抗議する。 「もう、どうせまた子供っぽいと思ってるんでしょう?」 「いや、君といると見慣れた景色も新鮮に映ると思ってね」 言って、友雅が鮮やかに笑んで見せると、あかねの頬が桜色に染まった。 「やっぱり、からかってる!」 そっぽを向いてしまったあかねに近寄ると、友雅がその手を取った。そして恭しく口付けて、微笑む。 「ひどいな。本当にそう思ったんだよ?君といると、毎日が新鮮な驚きと喜びに満ちている事に気付かされる‥‥」 「〜〜〜!!」 あかねは真っ赤になってしまって、言葉も出ない。その隙に、友雅が取っていた手を引き寄せ、たおやかな身体を抱きしめた。 「とっ、友雅さんっ!」 「ふふ‥‥、君の元気な姿が見られて嬉しいのだから、これ位は許して欲しいな」 「あ‥‥」 その言葉が意味する事を悟ったあかねが表情を曇らせた。 「‥‥あの、心配かけてごめんなさい‥‥」 あかねが熱を出していた時、誰よりも心配してくれたのは友雅だ。そして、元気になった事を誰よりも喜んでくれているのも‥‥。 申し訳なさそうに言うあかねの頭を撫でて、友雅が笑う。 「そう思うなら、あまり無茶をしない事。藤姫達も心配していたよ。しばらくは大人しくしていてあげなさい」 優しく諭すような口調に、あかねは素直に頷いた。 「まあ、私は君が笑っていてくれるならそれでいいのだけれど、ね」 そう言いながら、友雅があかねの肩口まで伸びた髪を一房手に取った。それに唇で触れると、あかねの頬が刷毛で掃いたように朱に染まる。 「〜〜〜もうっ、何でそういう事を平気でしちゃうんですかぁっ!」 「それは‥‥君が愛しいからに決まっているだろう?」 艶やかに笑んで見せると、あかねが絶句した。次いで悔しそうに友雅の胸をぽかぽかと叩く。 「もうもうっ!友雅さんなんか嫌いっ!」 心底楽しそうに笑って友雅が腕を解くと、あかねはするりと抜け出した。ぷいっとそっぽを向いて、真っ白な雪原の中を駆けていく。 その後ろ姿が陽の光に透けて‥‥友雅はふと不安に駆られた。 あかねがそのまま消えてしまいそうな‥‥そんな気が、して。 友雅はあかねを引き止めようとして、すぐに思い直した。額に手を当てて、苦笑する。 どうかしているな、こんな事で不安になるなどとは‥‥。 そうだ。どうかしている。 彼女が消えてしまうなど───‥‥。 ありえない、事だ。 「友雅さん♪」 思考の底に沈みそうになった友雅の目の前に、真っ白な何かが突然現れて、意識が急速に浮上する。 「おや、それは?」 目の前に現れたそれは、赤い目と葉っぱの耳を持つ、雪でできた小さなうさぎだった。あかねの手の上に可愛らしく鎮座している。 「あっちで千両の木を見つけて、懐かしくなったから‥‥。子供の頃、こういうの作って遊んでたんですよ」 「そう‥‥可愛いね」 先程まで怒っていた筈なのだが、あかねはもう機嫌を直したようだった。もっとも本気で怒っていた訳ではないのだから、それも道理か。 そんな潔さも、友雅には心地良く思える。 溶けてしまわないよう雪うさぎを地面において、あかねがはーっと手に息を吹きかけた。見ると、手が真っ赤になっている。素手で雪を触っていたせいだろう。 「かしてごらん」 「え?」 何を、とあかねが訊き返すよりも早く、友雅が赤くなった手を取った。息を吹きかけて両手で包むように握る。すると、あかねの手は友雅の大きな手にすっぽりと包まれてしまう。伝わる温もりが心地良いと思った瞬間、あかねが我に返った。 「やっ、やだやだ。放して下さいっ」 「嫌とはひどいな‥‥。そんなに私に触れられるのは嫌かい?」 わざと傷ついた顔をして見せると、あかねが更に慌てた。 「え!?やだ違います!そんなつもりで言ったんじゃありません!そうじゃなくて、だから‥‥っ」 「うん?」 わたわたと慌てるあかねをよそに、友雅は楽しそうに笑っている。 もちろん、しっかりと握った手を放そうとはしない。彼がこの状況を楽しんでいる事は明らかだった。 「とっ、とにかく放して下さい。友雅さんの手が冷えちゃう〜っ!」 「平気だよ」 「平気じゃないですよ!ほら、もう冷たくなっちゃったじゃないですかぁっ!」 「じゃあ、今度はあかねが温めておくれ」 「!!!」 艶やかな微笑みと、甘い囁き。熱っぽい瞳でそんな言葉を囁かれて、あかねが平静でいられる筈もなく‥‥。案の定、耳まで真っ赤になってしまって声も出せない。 それが可愛くて堪らないと言った表情で、友雅がくすりと笑みを零した。すると当然、あかねから抗議の声が上がる。 「もうっ、またからかって遊んでるんでしょう!?」 「君が可愛いからだよ」 「〜〜〜もうっ、もうもうっ!友雅さんなんかキライっ!放して下さいっ!」 手を振り払おうと、あかねがもがく。が、友雅はその手を放さなかった。ふと笑いを収めて、あかねを見つめる。 「駄目だ。この手を放したら、今度こそ君はこの雪に溶けて消えてしまうだろう?それだけは、許せないよ」 「え‥‥‥?」 先程のからかうような笑みは消えて、真剣な瞳があかねを見つめていた。びっくりしたように見つめ返してくる瞳を受け止めて、友雅が苦笑する。 「ふふ‥‥、情けないと笑うかい?先刻君が駆けていった時、私は君を失うのではないかと不安になったのだよ。だから、放さない」 「友、雅さん‥‥」 友雅がしっかりと捕らえた指先に唇を寄せた。ほのかな温もりが伝わって、あかねが再び頬を染める。 「あああの‥‥っ」 「君は私を雪のようだと言ったけれど、君の方こそ雪のようだよ。白く、清廉で‥‥‥美しい雪の華のようだ‥‥‥」 「友雅さん‥‥」 友雅の瞳に切なげな色が見え隠れしている事に気付いて、あかねが哀しそうに眉を寄せた。 「あまり温めると溶けてしまいそうで‥‥、これ以上触れるのは少し怖いね‥‥‥」 「そんなっ、そんな事ありません!私は友雅さんの傍にいたいからここに残ったんです!ここ以外のどこにも、行くところなんかありません」 「あかね‥‥」 「それに、この前私が不安になってた時、傍にいるって言ってくれたじゃないですか。あの時、友雅さんの腕がすごくあったかくて‥‥すごく安心できて‥‥不安なんかどこかに行っちゃう位嬉しかったんですよ?」 あの時の、友雅の言葉。 不安になっていたあかねを支えてくれた、大切な人の‥‥優しい温もり。 それがどれ程嬉しかったか、少しでも伝えたくて、あかねが必死に言葉を紡ぐ。 「私に、何かできる事‥‥ないですか?」 「‥‥え?」 「だからっ、私ばっかり友雅さんに支えてもらってて‥‥私は何もしてあげられないんだもん。そんなの、悔しい‥‥‥」 「あかね‥‥」 あかねのどんな時も一生懸命で誠実な姿に、友雅は自分が随分と支えられている事に改めて気付かされた。 冷え切った心に温もりを灯し、情熱という言葉の意味を思い出させてくれた、ただひとりの少女。 友雅にとって、かけがえのない大切な存在───‥‥。 自分の不安が、その大切な人を苦しめている。 そんな事にも気付かないとは‥‥と、友雅は心中で嘆息する。あかねの事となると、さすがの友雅も冷静さを失う事があるようだ。 「友雅さん、何かないですか?」 友雅の不安が移ってしまったのか、あかねの表情にも不安の色が見える。そんな素直過ぎる心までが愛しくて‥‥友雅が優しく目を細めた。 「では‥‥願いを一つ、叶えてくれるかい?」 「お願いですか?いいですよ♪」 「‥‥‥‥‥」 耳元でぽつりと呟かれた、言葉。 あかねの頬が鮮やかに染まる。 「きいてくれるかい?」 「‥‥‥‥」 ためらいながらも、あかねがこくんと頷く。友雅は口元にやわらかな笑みを浮かべると、華奢な身体をそっと抱き寄せた。 「もう、離さないよ‥‥‥私の白雪‥‥‥」 手の中に、大切なものがある。 それはかけがえのない、この世にたったひとつしかないもの。 脆く、壊れやすいもの。 故に、失う事を恐れて、大切に、大切にしすぎてしまうもの。 けれど。 どうか気付いて。忘れてしまわないで。 失う事を恐れる事で、失ってしまうものがある事に。 だから、失う事を恐れるのでなく、守る事を。 その手で守る事もできるのだと。 どうか、忘れずにいて────‥‥。 ────今宵、君の温もりを──── それは、あかねだけが叶えられる、友雅の願い‥‥‥。 FIN. |
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「雪語り三部作」友雅さん編・その弐です。 このお話の中でのあかねちゃんは、 本当に友雅さんに宝物のように大切にされている、 そんな優しい空気を感じます。 それに友雅さんというひとは、色々な意味で本当に大人なので、 何をしてあげられるんだろう…と思うあかねちゃんの気持ちは、 よく解る気がしますし。 でもそんな友雅さんに、 無意識とは言え上手に甘えさせてしまうあかねちゃん… 流石〜vv …と言いつつ、この後はどうなってしまったのでしょう(笑)。 (←密かに気になってる…?) 本心を見せない事に、何処かで慣れてしまっている観のある友雅さんには、 素直なあかねちゃんは安らぎなのかもしれないですね♪ 郁さん、素敵な創作をありがとうございました。 「不香の花」(友雅×あかね…雪語り・壱)はコチラからどうぞv→□ by.陸深 雪 |