不香の花







§








 ────その日は、午から雪になった。















 真っ白な空から、はらはらと舞い降りるものがある。


 重さを感じさせないそれは、ふわりと落ちると、一瞬で溶けて消えてしまう。


 くり返し、くり返し‥‥落ちては消え、消えては落ち、少しずつ世界を白く変えていく様子を、あかねは飽きる事なく見つめていた。


 上げられた格子から空を見上げるあかねの吐息が、粉雪の舞う空に淡く溶けて消えていく。








「こら」
「きゃあっ」
 突然声をかけられて、あかねが小さく悲鳴を上げた。驚いて声の聞こえた方へ振りかえると、いつの間に来たのか、呆れ顔の友雅が立っていた。
「と、友雅さん!いつ来たんですか!?」
「今さっきだよ。声をかけたのだけれど、返事がなかったのでね。勝手に入らせてもらったよ」
 声や御簾を上げる気配にも気付かなかったとは、余程雪に見入っていたのだろう。ぼーっと雪を眺めているところを友雅に見られた事が恥ずかしいのか、あかねが顔を赤らめた。
「ご、ごめんなさい」
「いや、それは構わないが‥‥君は病で臥せっているのだよ?それなのにそんな所で雪など眺めていては、身体が冷えてしまうだろう」
 やんわりと叱られて、あかねが『だって雪が綺麗だったから』と言い訳をすると、友雅の口元に苦笑が浮かんだ。
 この三日ほど、あかねは熱を出して床に臥せっていた。いわゆる風邪である。このところ寒い日が続いていた上に、あかねには初めての冬。これといった暖房器具もない京の冬の寒さに、身体がついていけなかったのだろう。
「まったく、君って子は‥‥。やっと熱が下がったところなのだから、大人しく寝ていなさい」
「‥‥もう少し、起きてたら駄目ですか?」
「駄目」
「う‥‥‥。で、でも、あとちょっとだけ。‥‥そしたらちゃんと寝ますから‥‥ね?」
 即答されてしまって一瞬たじろいだあかねだが、何とか友雅に食い下がる。
「‥‥‥‥」
 活動的なあかねにとって、三日も部屋から出られないというのはさぞかし苦痛だったに違いない。その表情から『もう寝ているのには飽きちゃったんですっ』という訴えを感じ取った友雅が、苦笑しながらやれやれと肩を竦めた。上掛けに使っていた袿を取り上げると、あかねの方へ歩いていく。
「?‥‥友雅さん?」
 何をするのだろうかと不思議そうに見上げるあかねの後ろへ座ると、友雅は袿で彼女を包み、己の懐へと抱き寄せた。
「えっ‥‥、あ、あの、友雅さん!?」
「ほら、動かない」
 驚いてあかねが身動ぐと、友雅が抱き寄せる腕に力を入れてその動きを封じた。
「でででも、あの‥‥」
 袿で包まれた上に後ろからしっかりと抱きしめられてしまって、あかねは身動きもできない。肩から一枚袿を羽織っていたとはいえ、長い間外を眺めていたせいで冷えてしまった身体に、友雅の温もりがゆっくりと伝わっていく。体温を分け合う距離に、あかねの鼓動が落ち着かなくなる。ほんのりと頬を染めたあかねを見た友雅が、満足げに微笑んだ。
「君は一度言い出したら聞かないからね。私の腕の中で大人しくしているなら、わがままをきいてあげるよ」
 極上の笑みと共に囁かれる、甘い言葉。あかねは頬をより一層赤く染めてこくんと頷いた。その無邪気な子供のような仕草が愛らしくて、友雅は笑みを深くすると、あかねの頭をぽんぽんと軽く叩いた。
「良い子だ」
 友雅さんって、甘やかすの上手いよね‥‥と、違う意味で熱の上がった頭で、あかねはぼんやりと考えた。
 押し付けがましくもなく、かといっておざなりでもない。さりげない心配りが、友雅は抜群に上手い。些細な事なのだけれど、それが人の心に柔らかく触れ、喜びをもたらす。人の心の機微に聡い友雅ならではと言えよう。
 けれど。
 それはあかねが引き出した友雅の新たな魅力だという事に、当の本人は全く気付いていないらしい。
 かつての友雅は、どうすれば相手が喜ぶかを計算して動いていた。
 だが、あかねと出会い心を通わせてからは、そういった人の心を計るようなところが徐々に薄れていき、さりげない心配りへと変化していった。微妙な変化であったけれど、彼らと親しい者は皆それに気付いていた。そして皆、友雅のそんな変化を心から喜んでいた。


「そんなに雪を見ているのが楽しいのかい?」
 飽きる事なく舞い降りる雪を眺めているあかねに、友雅がやや呆れた様子で問いかけた。あかねは嬉しそうに頷いて、また空を見上げる。
「雪が降ると、世界から音がなくなっていくような気がして‥‥。しんと静まり返った世界が白く変わっていくのを見ているのが好きなんです」
「そう‥‥」
 何故だか覇気のない友雅の言葉に、あかねがおやっと眉を上げた。
 空を見上げていた瞳を友雅に向けると、彼はどこか憮然とした表情であかねを見ていた。
「友雅さん?」
「気に入らないね」
「えっ?」
「私が傍にいるというのに、君の心を占めているのは空から舞い降りる雪なのだろう?」
「え‥‥‥‥?」
 大きな瞳をぱちぱちっと瞬かせて、あかねが友雅を見た。
「‥‥友雅さん、もしかしてやきもち焼いてるんですか‥‥?」
 信じられないというようなあかねの口調に、友雅はより一層憮然として見せると、彼女の身体を自分の方へ向けるように抱き直した。
「そうだよ。私が傍にいる時は、何よりも私だけを見ていて欲しい。
 それが例え人でなくても、あかねの関心を奪われるのは気に入らないね」
 どこか子供じみた物言いに、あかねがくすりと笑いを零した。友雅はいつだって落ち着いていて、大人で‥‥自分など太刀打ちできないと思っていたから、彼のそんな子供のようなわがままが、あかねにはくすっぐったくて、嬉しかった。
「ごめんなさい、友雅さん。毎日来てくれて嬉しかったです」
 熱で起き上がれないあかねを友雅は毎日見舞い、薬湯を飲ませたり傍についていたりと、かいがいしく世話を焼いていた。ろくに相手もできない事を気に病んで謝ると、友雅は安心させるように微笑んで、手を握ってくれた。その温もりに安心して眠る事ができたのを、熱で頭がぼんやりしていたけれど、あかねはしっかり覚えていた。
 あかねが笑顔でお礼を言うと、やっと自分に向けられたまっすぐな瞳に、友雅は機嫌を直したようだ。
「寒くないかい?」
「平気ですよ。あ、そうだ。友雅さん、不香の花って知ってますか?」
「いや、知らないな。どんな花なんだい?」
「ふふ‥‥、雪の事です」
「雪?」
「そうです。冬に咲く香りのない花‥‥なんて、すごく綺麗ですよね。
 何だか、友雅さんの事みたい‥‥」
「私がこの雪のようだと言うのかい?」
 その喩えに少し驚いた顔をして、友雅が問い返す。あかねはこくんと頷いて、再び雪の舞う空を見上げた。


 ────冬に儚い花を咲かせる雪‥‥。つもっても、つもっても、春になれば淡く溶けて消えてしまうもの。

 それは人の想いにも似て‥‥‥あかねを不安にさせた。


 あかねが腕を友雅の背に回して、ぎゅっと抱きついた。突然の行動に、友雅が訝しげにあかねを呼ぶ。
「あかね?」
「‥‥雪はすごく綺麗で‥‥雪景色も素敵だけど‥‥。雪を見てると時々不安になるんです。この雪みたいに、友雅さんが消えてしまうんじゃないかって‥‥」
 その言葉に友雅が目を瞠った。
「友雅さん、前に人生は淡雪みたいなものだって言ってたでしょう?私その時すごく哀しくて‥‥。だからなのかな。友雅さんがいなくなっちゃいそうで‥‥少し怖いんです」
 友雅の胸に縋りながら、あかねが目を閉じる。
「‥‥いなくなったりしないで‥‥」
 友雅が傍にいて欲しいと望んでくれたから、あかねは京に残る決心をした。彼がいなくなったら、あかねにはそこにいる意味がなくなってしまうのだ。もし、もしも、友雅が目の前から姿を消してしまったとしたら‥‥。そう想像するだけで、あかねの心は不安で一杯になってしまう。
 そんな弱い自分は嫌いだった。けれど、どうしようもないのだ。その想いを胸に抱いている限り、不安は決して消えないだろうから‥‥。
 それは、本来交わる筈のない世界の人を愛してしまった、代償なのかもしれなかった。
 あかねの言葉をじっと聞いていた友雅は、穏やかに笑んで、そっとその細い肩を抱き寄せた。自分の温もりが少しでもあかねの不安を和らげられるように願いながら、囁きかける。
「例えこの身が滅びても、君の傍を離れないと誓うよ。大丈夫。私はここにいて、こうして君を抱いているだろう?」
「‥‥うん‥‥。友雅さん、あったかい‥‥」
 小さな身体を、あかねがそっと摺り寄せる。そのあまりに無防備な仕草に、友雅は一瞬、そのままあかねをさらってしまいたい衝動に駆られた。が、彼女は病気なのだからと自分に言い聞かせて、何とか堪える。
 どんな時もまっすぐに向けられるあかねの想い。それは時として友雅の中の欲望を煽り、彼を翻弄した。あかねを型にはめるような真似はしたくないから、それについては何も言わないのだが‥‥‥。
 まるで、拷問だな‥‥‥。
 友雅は心の中で苦笑した。もっとも、そんな感情でさえ、友雅には新鮮な驚きを伴って、甘い喜びをもたらすのだが。
 かつての冷え切った心は、今はもう、どこにもないのだから‥‥。

「さあ、もうお休み。まだ完全に治ったわけではないのだからね」
「‥‥もう、帰っちゃうんですか?」
 寂しそうにあかねが言うと、友雅が鮮やかに笑んだ。
「いや、君が眠るまでは傍にいるよ」
「じゃあ、起きたら友雅さん、いないんですね‥‥」
「‥‥あかね」
「‥‥ごめんなさい‥‥こんなの、子供みたいなわがままだってわかってます。でも‥‥」
 言って、友雅にきゅっとしがみつく。すると、友雅が苦笑いするのがわかった。それでも、困らせているとわかっていても、あかねは腕を解く事ができなかった。ただ、消え入りそうな声でごめんなさいとくり返す。その頭を友雅がぽんぽんと軽く叩いた。気にしなくて良いと、言葉ではなくあかねに語りかける。
「病の時は誰しも気弱になるものだよ。‥‥そうだね‥‥では今宵君の寝顔を見るまで傍にいさせてくれるかい?」
「え‥‥‥」
 驚いたようにあかねが顔を上げた。その瞳を覗きこんで、友雅がイタズラっぽく笑った。
「おや、それでは不満かな?」
「え、や、ちち違いますっ。そうじゃなくて‥‥えっと‥‥?」
 今のは、つまり。
 夜まで傍にいてくれるという事‥‥?
 友雅が何と言ったのか、やっと理解したあかねが頬を染めた。が、次の瞬間にはしょんぼりと肩を落としてしまった。
「あかね?」
「‥‥ごめんなさい‥‥わがままばっかり言って‥‥」
 しゅんと小さくなってしまったあかねの頬に手を当てて仰向かせると、友雅が囁いた。
「何故謝るんだい?愛しい人に傍にいて欲しいと言われて嬉しくない男などいないというのに」
 そして、そっと唇を重ねる。あかねが友雅の腕の中で慌てた。
「と、友雅さん、風邪移っちゃう‥‥」
「ふふ、私はそれ程やわではないよ。構わないから、触れさせてくれないか」
「‥‥あ‥‥」
 友雅の甘い囁きに、あかねは真っ赤になって‥‥‥小さく頷いた。
 それを愛しげに見つめて、友雅はふわりと優しい口付けを落とすと、あかねをしっかりと抱き寄せた。
「こうしていてあげるから、安心してお休み。そして一日も早く、元の元気な君の姿を見せておくれ」
「はい‥‥」
 優しい、優しい言葉。あかねは身体だけでなく、心も友雅の温もりに包まれて、安心しきった表情で目を閉じた。






























 やがてあかねの小さな寝息が聞こえてくる。その規則正しい呼吸を聞いて、この分ならあと数日で快くなるだろうと友雅は考えた。


 あかねの手が、友雅の衣をきゅっと握っている。


 愛しい人の重みと温もりを感じながら、友雅は言いようのない幸福感が心を満たしていくのを、心地良く思った。





 温めれば溶けてしまう、儚い雪のような存在だった筈なのに、あかねは今も彼の腕の中にある。
 その幸運と幸福をもたらしたのも彼女だ。
 その人がどこにも行くなと望んでくれるなら、どんな事があっても友雅はその願いを叶えるだろう。

 だから不安になどならなくて良いのだと、友雅はあかねに語りかける。

 今こうして安心して眠っているように、どんな時も安心していて欲しいと‥‥願いを込めて、瞼にそっと口付けを落とした。
































 さて、その日友雅が自邸へ帰れたかどうかは‥‥‥









 かなり‥‥‥疑問である。















FIN.
< Copyright(c) Iku Yuuki. 2002 / Site「BLUESTAR」>











‡郁さんのCOMMENT‡

冬の話なのに、世間はすっかり春らしくなってきて
しまいましたね・・・。なんだかなあ(^_^;)
遅筆な己が憎いぃ〜!

というより、企画ものなのに遅くて申し訳ないです(汗)

えー、この話もネタは去年からありました(笑)
でもやっぱり冬にUPしたかったのです。
って、こんな遅くなってたら一緒か・・・?(・・・汗)

しかし、友雅さんとあかねちゃんは
書いててものすごく楽しいですねv
こーいう年の差カップルに弱いんですよ、私。
年上の大人の男の人と、可愛い(ここポイント♪)女の子。
くうっ、なんてツボなカップリングだ!(落ち着け)

何かいつにも増して甘々度が高い・・・?(笑)




「BLUESTAR」
結希 郁さまが配布していらした、
「雪語り三部作」友雅さん編・その壱です。

友雅さんは確かに、
すごく上手に包み込んでくれそうですよね♪

でもそんな大人の人が垣間見せてくれる、
可愛らしい一面がまたツボなのかも…v

しかしあかねちゃんがあまりにも無邪気で、友雅さんも大変ですね〜(笑)。

…と言いつつ、私としては
友雅さんに看病されてどきどきするような、安心するような…
というあかねちゃんの反応、よく判りますv


最後に…飾らせて戴くのがとっても遅くなって申し訳ありません〜。。


郁さん、素敵な創作をありがとうございました。

「雪華」(友雅×あかね…雪語り・弐)はコチラからどうぞv→



by.陸深 雪



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