「呼んだ・・・?」 くるりと振り向く。 声が聴こえた。 低く、落ち着いた声が、私を呼んだ。 ・・・そう思ったのだが、目の前に映る人物は訝しげに眉を潜めただけだった。 動作に合わせ、艶やかな若草色の髪がさらさらと流れている。 「神子・・・?」 「・・・あ・・・、えっと・・・、何でもないです。ゴメンなさい、泰明さん」 あかねは少し心配そうに覗き込んでくる泰明を見て、思わず肩を竦めた。 幻聴だったのだろうか。 確かに呼ばれた気がしたのだが・・・。 ぼんやり考え込むあかねに、泰明はますます心配気に表情を歪める。 「一体どうしたのだ?」 あかねはゆっくりと頭を横に振ると、泰明の腕に自分の腕を絡めた。 「本当に何でもないです。誰かに呼ばれたような気がしただけ」 「・・・呼ばれた・・・?」 今度は泰明が考え込むように目を伏せる。 あかねは黙ってしまった泰明を見て、こっそり舌を出した。 泰明は一度考え出すと、長い。 自分の中で納得が出来ない限り、ひたすら答えを求める傾向がある。 しかも今回は、あかね自身が気のせいだか何だかよく分からないのに、答えが出るはずも無い。 ・・・いや、気の所為だという答えもありだろうか? このままではせっかくの二人の時間が終わってしまうと感じ、 「泰明さん、そんなことより早く行きましょ」 あかねは半ば強引に泰明の腕を引っ張る。 まだ考え込んでいる様子だったが、あかねは泰明を急き立てながら、走り出した。 桜並木を駆け抜ける。 何度も何度も来たことのある場所だ。 あかねは目的の場所が見えると、小さく笑い声を漏らした。 しかし、泰明は反対に表情が硬くなっていく。 古井戸。 桜に囲まれた、古く、戸板できっちりと蓋をされた井戸。 学校の裏山にあるそこは、異界に通ずる場所だとして噂があり、同時に誰も近寄りたがらない場所でもあった。 春には桜が満開になり絶景ではあるが、古井戸の周りに漂う独特の雰囲気や噂が、人を近寄り難くさせている。 噂が噂を呼んで、井戸の中に引きずり込まれる・・・などといわれている所為もあるだろう。 実際、あかねが京へと引き込まれ、再び現代へ戻ってきたのもこの場所である。 泰明は、なおも近づいていこうとするあかねの腕をを強く引いて立ち止まった。 「泰明さん?」 あかねは僅かに首を傾げる。 泰明はじっと井戸を見つめると、やがてあかねに瞳を移した。 「・・・神子、何故ここに来ようなどと言い出したのだ?」 泰明の瞳が落ち着きなく揺らぐ。 あかねは珍しく動揺している泰明を見て、不思議そうに顔を見上げた。 他の人から見れば分からないほどであろうが、あかねは微妙な変化を見て取った。 いつも冷静さを欠かない泰明が、僅かながらに動揺している。 「どうしたの?・・・泰明さん」 あかねは僅かに俯く泰明を覗き込むようにして、その頬に掌を滑らした。 泰明は視線をあかねに移すと、頬に当てられたあかねの手を握り締める。 「・・・・・・龍神に・・・、また呼ばれたのではないかと思ったのだ」 「・・・え?」 あかねはパチパチと瞬きをした。 「先ほど呼ばれたような気がしたと言ったであろう。龍神の神子としての役目は終えたが、お前の清らかな気は変わらぬままだ。・・・もし、また京に召喚されるようなことがあれば、私は・・・」 泰明はあかねの身体を引き寄せ、ぎゅっと抱きしめる。 ああ、それで・・・。 あかねは何故泰明が落ち着かないのかを知った。 現代に泰明と共に戻ってから、何度かここには来た事がある。 その時は別に何ということもなかった。 泰明もいつもと変わらなかった。 だけど・・・。 誰かに呼ばれたような気がする、といったあかねの言葉が泰明の心を揺さぶっているのだ。 以前、京に召喚されたときも、アクラムに、そして龍神に呼ばれて現代から姿を消したから。 あかねは泰明を落ち着けるように泰明の背に腕を回す。 「考え過ぎだよ。泰明さんに似た声だった様な気がするし、全然怖い感じもなかったもの。きっと気のせい」 「だが、・・・いや、いい。そのような事があれば私がお前を守るまでだ」 泰明はそっと目を伏せた。 あかねは小さく「うん」と呟く。 絶対に離れない。 大好きな人たちとの「別れ」という切なさを知っているから。 泰明に京での生活を捨てさせてしまったから。 泰明は、あかねと共に在ることが一番の幸せだと言うけれど、唯一の身内とも呼べた人との別れはやはり辛かっただろうと思う。 師であり、親でもあった人。 この世では既に過去の人。 龍神は現代で暮らしていけるだけの贈りものをしてくれたけど、それでもここで泰明に親兄弟はいなかった。 親に甘えて育ったあかねには、寂しくて耐えられないことだ。 実際、京に召喚されたばかりの頃は、両親に会いたくて、寂しくて、何度枕を濡らしたか知れない。 それでも、たとえ辛くて悲しいことがあっても乗り越えられ癒されてきたのは、泰明や仲間たちがいてくれからだ。 そして、いつか帰れるだろうという希望があればこそ。 ・・・しかし、泰明はすべてを置いてこの地にやってきた。 ただ、あかねと共に生きる事を望んで・・・。 たとえ二度と京へ戻ることが出来ないとしても。 あかねはそっと背伸びをする。 コツン、と俯いている泰明の額とぶつかる。 泰明はゆっくり顔をずらすと、片方の手をあかねの顎にかける。 二つの吐息が、やがて一つに重なった。 胸の奥に、温かな光が宿る。 あかねは、身体がふわふわとするような感覚を覚え、ぎゅっと泰明を抱きしめた。 ひらり、と桜の花びらが舞う。 ひらり、ひらりと風に踊り、降り注ぐ。 あかねと泰明が離れると、桜は風と共に音を立てて舞い散った。 「・・・泰明・・・さん?」 あかねは桜吹雪に視界を奪われ、必死で泰明にしがみついた。 泰明は強く抱きしめ、気を探る。 ただの風にしてはおかしい。 二人を避けるようにして風が吹き、花びらが空を舞う。 「・・・な・・・に?」 泰明の呆然とした声に、あかねは泰明の視界の先を追う。 桜吹雪が徐々におさまり、前方の視野が開けてきた。 あかねは朧に見える光景を、息を呑んで凝視した。 目の前に人が二人立っていた。 しかし、その二人の周りだけ景色が雪に埋もれている。 ぼんやりとした空間の中に、こことは違う場所が存在している。 そこにはショートカットの少女と、隣に泰明そっくりの人物が立っていた。 あかねは思わずその人物に目を奪われる。 髪はいくらか短いが、艶やかな新緑のような髪。 そして何より、泰明と同じ顔と、身に纏う同じ雰囲気・・・。 その人物も僅かに目を見開いて困惑したような表情をしている。 「龍神の神子の気・・・?」 『龍神の神子の気・・・?』 泰明とその人物の声が重なった。 あかねはこの人だ、と感じた。 「神子・・・」と呼ばれた声。 泰明と同じ声の人。 あかねは隣の少女と目が合うと、同時に笑みを浮かべた。 あれからどのくらい刻が経ったのか分からないが、きっと同じように龍神の神子として京に召喚されたのだろう。 そして、その隣には地の玄武がいる。 あかねには分かった。 泰明とそっくりな人からは地の玄武と同じ気が感じられる。 そして二人を取り巻く幸せそうな温かな気が。 きっと二人は、今、幸せの中にいる。 まるで自分たちを見ているような錯覚を覚えた。 あかねはふと泰明を見上げる。 が、泰明は息を止めているのではないかと思うくらいに凝視して動かない。 あかねは小さく笑うと、泰明の袖を引っ張って名前を呼んだ。 「泰明さん・・・」 と、同時に 『泰継さん・・・』 と声が重なる。 あかねはきょとんとして少女をみると、鏡を見ているかのように同じ行動をしている少女と再び目が合い、同時に苦笑いした。 再び桜の花びらが舞う。 視界を覆い尽くすように、ハラハラと限りなく降り注ぐ。 強い風に煽られ、泰明とあかねが一瞬目を瞑ったその瞬間、あの二人の姿は忽然と消えていた。 桜に濡れたまま、泰明とあかねはじっと見つめる。 「・・・何か、不思議な出来事でしたね」 「・・・ああ」 泰明は二人が立っていた場所に視線を戻す。 夢ではないかと思うほどに、二人の形跡はない。 でも夢ではなく、確かに二人はそこにいた。 もしかすると、龍神のいたずらかもしれない・・・。 「泰明さん・・・、声の正体分かったよ」 あかねはポツリと呟いた。 泰明は首を傾げてあかねを見る。 泰継と呼ばれた人。 あの人が少女を呼んだ声が、時空を越えて耳に届いたのだろう。 あかねは何だか自分ごとのように嬉しくなって、笑みを浮かべた。 泰明はしきりに首を傾げていたが、あかねはただ嬉しそうに笑っているだけである。 「一体何なのだ?」 しびれを切らせて泰明は問うような視線を向ける。 「あの二人が恋してるのが、私達のことのように思えただけです」 あかねが泰明に惹かれたように、泰明があかねに惹かれたように。 そしておそらく泰明と同じ気を分けた人物。 泰明も、泰継と呼ばれた人物に心当たりがあるようだ。 泰明はふと目を細めて口元に笑みを浮かべた。 微かながらも泰明の気が変質している。 あかねは泰明のように力があるわけではないが、泰明の事に関してなら殊更聡い部分がある。 慈愛に満ちた温かく優しい気が、泰明を覆っている。 いつか、中間達と再会することがあるだろうか? また、さっきの二人に出会うことが出来るだろうか? それすら可能なように、今なら思える。 遙かなる時空を越えて 想いは途切れることなく飛翔する 泰明はあかねを包み込むように背後から抱きしめる。 あかねはゆったりと身を寄せ、上を見上げた。 二人の瞼が閉じられ、唇がそっと触れる。 桜の花びらが、名残惜しそうにひらりと舞った。 了 |
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サイトOPEN一周年記念フリー創作を戴いてきました。 戦いの後で現代へ戻ったあかねちゃんと泰明さん。 ひととは違う生まれであること、唯一の家族と呼べる人と別れてしまったことを ずっと背負っていかなくてはいけない泰明さんにとって、 同じように生まれた「兄弟」のような泰継さんがひととして幸せに暮らしている事は 今在る自分の存在や感じている幸せを 信じられる力の一つになるのかもしれない、と思いました。 雪夜さま、素敵なお話をどうもありがとうございましたvv なお、このお話は「second Ver.」とリンクしていますので、 ぜひお楽しみ下さいね!! 「はるか 〜second Ver.〜」(泰継×花梨)はコチラからどうぞv→□ by.陸深 雪 |