〜 月夜に遊ぶ 〜 《 弐 》 しん、と静まりかえった夜の大路に天真の声だけが虚しく消えていく。 しかし泰明はと言えば、既に完全に意識は別の方へ向いているらしく、沈没している天真には目もくれない。 式神の様子でも探っているのか、軽く瞼を伏せたまま、小さく呪のような詞を唱える声が響く。 ――― かと思うと、不意に彼はぱちりと眸を開き、先ほどその双色の瞳を向けていた辻の方へとすたすたと歩き始めた。 前置き無しの泰明の行動に、ボンヤリしていた天真は置いて行かれそうになる。 「!? おい泰明っ、何処行くんだよ!」 「神子だ」 「あ?」 「神子と「むうみん」がこちらに来る」 振り向きもせずにそう言う泰明は当然、足を緩めもしない。 「………。だからそれ、やめろって…」 ムダと知りつつ、なけなしの気力を振り絞って精一杯常識人としての抵抗を試みる天真。 そしてやはり泰明はそんな事に頓着する気配は微塵もなく、天真のツッコミはサラリと無視される。 「…来たぞ」 その声に溜息でもつきたい心地で前方を見やると、確かに二つの小柄な影が見えた。 一つは華奢でほっそりとしており、もう一つはその三分の二ほどの身長で、ずんぐりむっくりしているようだ。 …そしてそれらが近づいて来るにつれ、夜風に乗って微かに声が響いてきた。 「あいつ、なにやってんだ…」 額を押さえながら天真が、思わずぼやく。 辻を曲がって姿を現したのは、泰明の言う通り、あかねと式神の「むうみん」だった。 こちらへと近づいてくるあかねはまだ二人には気がついていないのか、迎えに行った「むうみん」と手など繋いで、楽しげに軽く跳ねるように歩いてくる。 しかも余程気分がいいのか、なにやら歌まで歌っているらしい。 ――― それを目にした泰明の形のいい眉が、不意にぴくりと引きつった。 その視線の先は、繋がれた手に向いている。 …と。 「…あ」 何かの拍子に、不意にこちらへと視線を向けたあかねが、漸く二人の姿に気がついた。 その歩調が思わず緩む。 そんな彼女の方へと泰明は黙ったまますたすたと大股で近づいていった。 …心なしか、その歩調が速い。 そうして目の前までやってくると、流石にしまった、というようなばつの悪そうな表情を浮かべて佇む彼女に構わず、ひょい、とその手を「むうみん」から取り上げた。 きょとん、と泰明を見上げるあかね。 「むうみん」の方はと言えば、突然行き場の無くなった手を不思議そうにじっと見てから、泰明につぶらな視線を移す。 「…もういい。後を護れ」 愛想のあの字もない泰明の声に、「むうみん」は素直にこくりと頷くと、とてとてとて…と歩いてあかねの後ろ側に回ろうとする。 と、あかねがぷぅっと頬を膨らませて抗議の声をあげた。 「ええ〜っ、どうして? あの子も一緒に行きましょうよ」 「あれには後ろを護らせる」 「だって可愛いのに…。それに泰明さんがいて、護ってくれるもの。あの子が隣にいたって大丈夫でしょう?」 「……………」 理論的かつ沈着冷静な地の玄武も、あかねには敵わないらしい。 にっこりととびっきりの笑顔付きで、ね?と駄目を押され、腕までとられてしまって、どこか戸惑ったように黙り込む。 あかねはそれを了解の意と取って、「むうみん」においでおいでをすると、とてとてと走ってきた「むうみん」の手を泰明の腕に絡めているのとは反対の手で再び握る。 …それをどことなく面白くなさそうに見る泰明。 じいっと見つめている視線が何だかコワい。 ――― 自分の式神に、それもムー〇ン如きにヤキモチ焼くなよ………。 出遅れた天真は、触らぬ何とやらに祟り無しとばかりにやや離れたところから二人と一匹(?)の様子を窺いながら、こっそり心の中でそう突っ込んだ。 泰明の視線を見ていると何となく後が恐ろしくて、とてもではないが口になど、出せる筈がない。 だが、口には出さずとも、なにやらその不穏な空気を感じ取ったのか。 数歩先に佇む泰明が、唐突にくるり、と天真を振り返った。 じー…とこちらに向けられる視線が、微妙〜に睨んでいるように見えるのは気のせいか。 天真は曖昧に視線を逸らし、ともかく素知らぬ振りを決め込んだ。 …普段、見ている分にはどうにもひとの感情というものには疎そうな泰明だが、恐るべきは陰陽師の天性の勘である。 ――― ひたすら天真が沈黙を守る中、泰明は追求する気は無いのか暫くしてふぅ、と一つ溜息をつくと、軽く腕を組み直した。 それから軽く眉を顰め、ちらり、とあかねの方を見やる。 「…それよりも、神子、やはりお前には常に式神をつけておく必要がありそうだな」 ぽつり、と思い出したように呟かれたその発言に、天真はえ゛、と顔を引き攣らた。 視線を避けていた事も忘れ、思わず泰明を見る。 ――― もしやまさかこのムーミ〇を常時連れ歩かせるつもりなのか!? はらはらしている天真の横で、あかねが途端に情けない貌で泰明を見上げる。 どうやらまずい事をしたという自覚は、一応あるらしい。 「…ごめんなさい」 「それは以前も聞いた」 「…う。ええと、その…これからは気をつけます」 「説得力が無い」 「…確かにな」 この点でだけは地の青龍と地の玄武は意見の一致を見たらしい。 なにやら分かり合ったようにお互いにこくこくと頷いている。 「………」 そんな二人の様子に、思わずあかねが返答に詰まる。 この二人に同意されてはどう見ても分が悪い。 泰明の式神が嫌な訳ではなかったが、一日中一緒と言われると少し戸惑う。 …が、どうやら泰明の様子から察するに、前言を撤回する気はないらしい。 ――― ペットのようなものだと思えば、可愛いし、気にはならないのだけれど。 「その…ちょっとだけだし…この子もいるから大丈夫かなって思ったんですけど…」 申し訳なさそうに、心配かけてごめんなさい、とぺこりと頭を下げてもう一度謝るあかね。 そんな彼女を見つめつつ、泰明はふう、と溜息をつく。 …彼女に悪気が無いのは判っている。 ただ、あかねの「神子」に対する価値の捉え方は自分とは全く違う。否、価値を云々するどころか皆平等な存在として見ているのだ。 そうして自分の為に他人の手を煩わせるのは嫌だと言い、幾ら自分を呼べと言ってもいっこうに聞こうとしない。 それは彼女自身の身を危険に曝すという意味で弱点となるのと同時に、その優しさ故の美徳の表れでもある。だからこそ必要以上に束縛するような無理強いはせず、苦肉の策で式神の符を持たせていたのだが…。 「…あの、やっぱりこの子とずっと一緒ですか?」 泰明の表情を窺うように大きな瞳を瞬かせながら、あかねが握っていたむうみんの手を掲げてみせる。 と、泰明は即座にソレは駄目だ、ときっぱりと言い切った。 …僅かだが、その双色の瞳は据わっている。 「別のものにする。始終付けておくのならもっと目立たないものの方がいい」 淡々とそんな理屈をこねる泰明。 一見、もっともらしい理由のようだが、本心はその目を見れば明白だった。 しかし肝心のあかねは(いや、恐らく泰明自身も)それには気付いていないらしい。 そっか、そうですよね、などと素直に頷き、あかねはちょこんと首を傾げる。 「確かにこれくらいに大きい子だと、みんなをびっくりさせちゃいますよね。…もっと小さくて可愛い子ならいいかなぁ」 「…どんなものだ?」 「えーっと…何かこの間とは違うのっていうと…?」 人差し指を口元にあて、う〜ん?と考え込むあかねの様子は、見ている分には無邪気でたいそう愛らしい。泰明は殆ど面には現れないながらも、何処か興味津々といった風情でそんな彼女を見つめている。 …が、はた、とその発言内容に気がついた天真が慌てて割って入った。 「おい、ちょっと待てあかねっ!」 すぐそばで上がった天真の半ば絶叫のような声に、あかねは驚いたのか、貌を上げると大きな瞳をきょときょとさせる。 「て、天真くん、何で怒るの??」 「当たり前だろっ!!」 突然の天真の大声に訳が判らず?マークを飛ばしているあかねに、天真は語気も鋭く言い返す。 頼むから、これ以上妙な式神を増やすのは止めて欲しい。 「想像上の産物」な奇怪な生き物(?)がぞろぞろと左大臣家周辺を徘徊するのは、どう考えてもあまり精神衛生上よろしくない。 このまま行けば、それこそ左大臣家自体が「モノノケに憑かれたモノノケ邸」と噂されてしまうこと請け合いだ。 …もっとも、この泰明辺りなら、「神子に付けた式神なのだから問題ない」とでも言って一蹴しそうだが。 そこへ今度は反対側から泰明がぐい、と割り込んだ。 「天真、邪魔をするな。どのような式神ならいいのか、まだ神子から聞いていない」 「そ〜いう問題か!じゃなくて、それが問題なんだよっっ!!」 珍しくむっとした様子を露わにしている泰明に、矛先を変えた天真が噛みつく。 柳眉を顰めてこちらを見ている泰明の様子からは、質問の答えを得られなかったことが不満なのか、単にあかねとの会話を邪魔されたことが不満なのかを判断するのは微妙な処だ。 だがそんな事には構わず、とにかくやめろ、却下だ却下!!と叫く天真に、ややあって、泰明は少し苛立った様子で溜息をつく。 「…お前の言っている事はさっぱり解らない。簡潔に要点を言え」 「なんで解らないんだあっ!!」 半分涙声で天真が抗議する。 そんな二人の様子を、問題のそもそもの原因であるあかねは全く事態が飲み込めないまま、え?え?と言いながらおろおろと見回している。 かたや淡々と、かたや猛然と不毛な言い合いを続ける泰明と天真。 ――― と。 困ったように二人を見比べていたあかねが天真の頭の辺りへと視線をやり、ふと何かに気が付いたように瞳を瞬かせた。 「あれ?天真くん、何か頭の上に乗っけてるんだね」 「……………?」 唐突に降って湧いた呑気と言えば呑気すぎる発言に、ぱたりと二人の間の言葉の応酬が止んだ。 毒気を抜かれたようにこちらを見ている二人の様子に気づいているのかいないのか、あかねは口元に指を添え、不思議そうに首を傾げる。 「目玉のおやじさんかな。どうしたの、それ? 何だか可愛いね〜」 「……………は?」 胡乱げな眼差しを向ける天真とは反対に、泰明はアレか、と得心がいったように答える。 「あれか。あれは天真を気に入ったらしい。さっきからああして天真の面倒を見てやっている」 もっともらしくさらっとそんなことを言う泰明の言を証明するかのように、いつの間にかちゃっかりと天真の頭に居場所を定めた目玉のおやじが、これ見よがしにぽんぽんと天真の頭をはたいてみせる。 それを目にしたあかねがにっこりと笑った。 「へえ、えらいんだ。いい子だね〜♪」 よしよし、とあかねが撫でてやると、何故か照れたように目玉のおやじは天真の色素の薄い髪の上でもじもじする。 その様子に可愛い〜、とはしゃぐあかね。 そんな彼女の隣で、その貌をちらりと見遣ると、泰明は徐に天真の頭のてっぺんからつま先まで視線を巡らせた。 突然じろじろと眺められて、何事かと思わず緊張した天真の顔に、泰明は興味深げにさらにじいっと視線を注ぎ…ややあって得心がいったように、こくん、と一つ頷く。 …その端麗な貌にふっと笑みが浮かんだように見えたのは何かの間違いか。 「…成程。これが「可愛い」、というものなのだな」 「……………違うだろ、泰明……………(撃沈)」 ――――― カーン、と何処かで清々しく敗北の鐘が鳴り響くのを、聞いた、ような気がした…。 ×××××× おまけ。 ×××××× ――――― 後日。 あかねが「散歩」に出かけたこの日、突如、空から降ってくるようにして左大臣邸に現れた大ととろに、警護にあたっていた武士団内では「すわ怨霊か」と大騒ぎになり。 とりあえず一旦左大臣家へと集まっていた他の八葉への使いに走った中ととろを見た者達の内、イノリは「何だこりゃ!!」と絶叫し、鷹通は「…私は何も見ませんでした」と現実逃避に走り、頼久、友雅、永泉は、永泉が泰明の式神だと見破るまでただ目を点にして茫然と立ち尽くすという、世にも珍しい光景が繰り広げられた、という噂がまことしやかに左大臣家の女房達の間で流れることとなった。 (詩紋には「可愛い」と大ウケしたらしい。) もちろん後に、左手で〇ーミンと楽しそうに手を繋ぎ、右腕では平然とした様子の泰明の腕をとりながら、目玉のおやじの式神を頭に乗せたまま悄然と歩く天真を引き連れて足取りも軽く帰還したあかねに、彼らが更に腰を抜かしたのは言うまでもない。 ただ、その時天真の出で立ちに仲良く爆笑したイノリと詩紋の天地の朱雀は、後で天真にタコ殴りの目にあったらしい。 ――― ちなみに小ととろはその愛らしさから藤姫のお気に入りとなって、今も手放してもらえないでいる…。 【 Fin. 】 2004.7.28(WED)加筆. < Written by Yuki Kugami. 2004-. / Site 【 月晶華 】 > |