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「………」
…ふと、肩に預けられた柔らかな温もりが微かに身動ぐのを感じ、ぼんやりと物思いに耽っていた友雅は、不意に意識を引き戻された。
何気なく俯いていた貌を上げた処に、上空で葉擦れの音と共に微かな光の欠片が瞬き、彼は反射的に深い蒼の瞳を眇める。
彼らの上に降り注ぐのは、眩い、夏の気配すら感じられる午後の陽の光。
近頃では随分と陽も長くなり、もう夕方と言ってもおかしくない時間であるというのに、辺りはまだそのような気配は感じられなかった。
代わりに渇いた爽やかな風が額にかかる髪を撫でながら、木漏れ日を投げかけている頭上の枝葉を揺らして通り過ぎ、ちらちらと細かな光が零れ落ちる。
…それを眩しく感じたのか、傍らで眠る少女の細い眉が顰められ、唇から小さな吐息が洩れた。
長い睫毛が緩やかに動き、一つ、二つと瞬きをすると、瞼に覆われていた瞳が現れる。
「 ――― おはよう。ご機嫌はいかがかな?」
「…?」
その様子を穏やかな表情で見守りながら、友雅はゆっくりと声をかける。
…と、まだ、はっきりと目が覚めていないのか、どことなくぼうっとした貌つきで預けていた頭を起こすと、少女は響いてきた声に引かれるように彼の方を見上げた。
それから目にした友雅の姿に驚いたように大きな翡翠の双眸を瞠ると、瞳をぱちぱちと瞬かせる。
「あ、あれ、私…?」
「お目覚めかな?私の眠り姫は」
ぽつん、と小さく呟いた処に笑いを含んだ艶やかな声が被さった。
…そこに至って、あかねは漸く自分の状況に気がついたらしい。
顔を紅くしてうっ、と答えに詰まり、恥ずかしげに貌を伏せてしまう。
そんな彼女の仕草に、友雅はふっと溜息をついて見せた。
「やれやれ。本当に君は無防備だね」
「ご、ごめんなさい…」
苦笑混じりの友雅の言葉に、さすがにしゅんと項垂れて彼女は小さく謝った。
――― いくら何でも、今回ばかりは言い訳のしようもない。
久しぶりに逢えたというのに、しかも自分から約束をしたというのに、友雅の前ですとん、と眠りこけてしまうとは。
あかねは恥ずかしさで頭を抱えたい気分だった。
…そう。
今日は友雅と夕方に逢う約束を自分で取りつけていたのだ。
五月の中頃からこちら、あかねは試験や模試や行事で忙しく、友雅は友雅で仕事の都合があって、なかなか二人の予定が合わず、ここの所ずっと電話で声を聞くだけのような日が続いていた。
漸く、高校の行事の方が落ち着いてきたことと、思う処があってあかねは今日の約束をしたのだが…。
夕方、待ち合わせ場所のいつもの公園に友雅がやってきて、暫くの間は二人でたわいもない話をしていた、それは覚えている。
互いに逢えないでいた間のちょっとした出来事を話して聞かせ、それに相づちを打ち、笑いあう。
そうして一頻り話をした後、柔らかな風と緑の中でゆったりとした時間を感じている内に、段々と眠くなり…。
…そこで記憶は完全に途切れている。
…しかもとてもよく眠っていた…ような気がする。
全く、自分でも自分の行動が信じられない。
(ああもう、私の馬鹿〜…)
内心でずうん、と落ち込みかけた少女の頭に手を乗せると、友雅は苦笑を残したまま、宥めるように軽くぽんぽんと撫でる。
「気にすることはないよ」
「…でも」
「大した時間ではなかったのだし、これくらいのことはどうということもないさ。それに姫君の夢路を護るというのもまた一興というものだろう?」
柔らかな声に、あかねがそうっと視線を上げる。
すると友雅は見計らったかのように悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「…但し、私の前でだけにして欲しいけどね」
「!!」
その言葉に少女は慌てたようにぱっと貌を上げた。
「そんな、誰の前でも眠っちゃうって訳じゃ…!…ただ…」
「ただ、何だい?」
勢いでそこまで言ってしまってから、はっと気がついたように口を閉ざすが、聞き逃すような友雅ではない。
間近から深い色合いの瞳でじっと見つめられ、響きの良い声で答えを促されては逃れられるはずもなく…。
少女は早々に降参すると、だって、と小さな声をぽつりと洩らす。
「友雅さんと一緒だと…何だかすごく安心しちゃうみたいで…」
少し恥ずかしげに紡がれた言葉に、友雅は軽く目を見開いた。
それから貌に掌を当てると柔らかな吐息を洩らし、そのまま額に落ちかかる艶やかな緑髪をゆっくりと掻き上げる。
…全く、本当にいつもいつもこの少女は、自分の思いも寄らない事を、いともあっさりと言ってのける。
何の疑いも無く、無論駆け引きなどという事も全く考えず、ひどく素直に自分を「信頼している」と、そう言っているのだ。
かつての自分なら、
打ち解けたかのようなこんな言葉や態度に、
興ざめだと冷たく嘲ったかもしれない。
たしなみに欠けた、幼げで無粋な振る舞いだと…。
――― だが。「…少しくらいは、警戒してくれてもいいのだけど?」
「…え?」
一瞬、きょとんと目を見開いた少女は、はた、とその言葉の意味に思い至り、ぱっと頬を紅く染めた。
そして慌てて友雅から躰を離そうとする。
その、あまりにも予想通りの素直で可愛らしい反応。
…が、友雅はあっさりと背中からその華奢な躰を包み込むようにして腕の中に閉じこめ、その動きを封じてしまう。
抱きしめられている腕の力強い感触と温かさを感じた途端、彼女の鼓動が跳ね上がる。
そんな彼女の反応を見透かしたかのように、友雅は艶やかな表情でそっと翡翠の瞳を覗き込んだ。
深い蒼の瞳に捉えられたかのように視線を外せずにいる少女が、貌を赤らめたまま、戸惑ったように身動ぎする。
「あ、あの、離して下さい…」
「だめ」
「…友雅さん〜!」
「私の傍は安心出来るんじゃなかったかな?」
耳元で艶やかな声で囁きながら、ふふ、と悪戯っぽく笑ってみせる友雅に、少女は貌を真っ赤にして、口をぱくぱくさせる。
…ずるい。
これでは揚げ足を取られたようなものだ。
まさか、暢気に眠ってしまった自分へのささやかな意趣返しなのだろうか。
確かにその事については言い訳のしようもないけれど。
…けれどいつもいつも、自分が動揺するのをよく判っていてこんな行動を取るのだから…。
――― やっぱり、ずるい。
「もう!いっつも、すぐそうやってからかうんですから!!」
何となく悔しくてちらりと横目で睨むと、友雅は腕を緩めないまま、堪えきれないといった様子でくくく…と忍び笑いを洩らす。
「と〜も〜ま〜さ〜さん!!」
「ごめんごめん。ただ、君の反応があんまり可愛いから、つい…ね」
そう言いつつもまだ笑いを治めない友雅に、少女はとうとうぷいっと顔を背けた。
「…姫君?」
「知りませんっ」
これは…どうやら御機嫌を損ねてしまったようだ、と苦笑すると、友雅は少女の朱鷺色の柔らかな髪をさらりと撫でる。
「貌を見せてはくれないのかな?私の姫君は」
「…「姫」じゃないですっ」
様子を窺うかのような友雅の口調にも、少女はそっぽを向いたまま、意固地になって反論する。
「あの時」に名前を呼んで欲しいと言ったのに。
時折まだ、友雅は自分の事を姫と呼んだりする。
それが嫌、という訳ではなかったけれど、今は何だか子供扱いされているようで、それが少し悔しくて、…哀しかった。
勿論、現実問題として友雅の方がずっと「大人」で、自分はまだまだ「子供」なのはよく解っている。…でも。
「…あかね?」
そこへ、そっと包み込むかのように響く、深い声音。
それに応えるかのように、まだ僅かに口を尖らせたまま、澄んだ翡翠の瞳が躊躇いがちに友雅を見上げる。
――― 自分にとって大切なひととは、
いつだってやっぱり対等でいたい。
自分がそのひとを想うのと同じくらいに必要とされたい…。 少女の言い分は口にしなくともその瞳に籠められ、友雅に伝わった。
彼は眩しいものを目にしたかのように、口元を綻ばせながらその瞳を細める。
…確かに、まだ、年端もゆかぬ少女なのに。
羽のように柔らかに、けれど陽や月の如く眩い光で自分の瞳を捉えて見せた彼女。
追いかけてくるのではなく、けれど避けるでもなく、ただ、優しく触れてゆく風のように…其処に在る。
…そして、何時の日にか彼方へと還りゆく筈だったそのひとは、いまも、確かにこの腕の中にいる。
「あの時」の、自分の願い、そのままに。
友雅は緩やかにその瞳を伏せる。
「 ――― 無理に、変わろうとする必要なんて無いのだよ」
「…友雅さん?」
穏やかに、諭すかのように零れた言葉に、あかねは拗ねていた事も忘れて不思議そうに首を傾げた。
真っ直ぐに向けられる瞳に彼の姿が映し出されているのが見える。
「君は大事なことを忘れているようだけど。私を惹きつけたのは紛れもなく、今ここにいる「あかね」、なのだから」
そう言って柔らかに笑うそのひとに、一瞬、見とれていたあかねは、ややあってふっと表情を緩めた。
それから仄かな笑みと共にこくん、と一つ頷くと、そっと自分を包み込んでいる腕に小さな掌を添える。
いつも、時に自分自身ですら判らない彼女の心の機微を、しっかりと捉えていてくれるひと。
そして甘やかすのではなく、けれど突き放すのでもなく…さりげない心配りで一番欲しい言葉をくれる。
本当に、敵わない…。
「…友雅さん、一年前も同じような事、言ってくれましたよね」
「うん?」
「友雅さんを変えたのは、私なんだって」
「ああ…そうだね」
「それ、今日だったんですよ。六月十一日。…すごく嬉しかったから、よく覚えてるんです」
穏やかに相づちを打つ友雅の腕の中で、そう言いながら、くすくすとくすぐったそうに笑いを零すあかね。
――― 六月十一日。
京都こちらとでは暦が違う為、本当はもう少し時期がずれるのだろうが、「その日」は彼女にとって特別な日、だった。
…それは、友雅が総てを捨てて共に来ると告げてくれた日。
そして、五人で京からこちらへと渡る次元の扉を潜った日。
「…それから…」
一つ一つ、指折り数えていたあかねが、ふつ、とそこで言葉を切った。
くるくると動いていた笑みを湛えた大きな瞳が彼の瞳を捉え ――― そして。
「 ――― 友雅さんの誕生日」
さらりと紡がれた言葉に不意を衝かれ、友雅は目を瞠る。
こちらの世界の習慣の事は知っている。
この一年の間に、あかねや天真や詩紋、そして蘭の誕生祝いというものに付き合った事もある。
ところが自分自身の事となると、今まで全くと言っていいほど意識した事が無かった為に、完全に失念していたのだ。
だが腕の中の少女はそんな彼の内心に気づく様子は無かった。
ただ、何処か困ったような、済まなさそうな貌で、本当は何か贈れたら良かったんですけど、とあかねは微苦笑を浮かべる。
――― 京にいた頃、自分には神子としての力があった。
その力で、八葉である彼らに力を与え、護る事も出来た。
けれど、今はもう、その力は無い。
そしてこの世界では、自分はただの高校生の子供で。
一年前でこそ、まだ色々と不慣れな彼を助けたり、何かと教えたりする事も出来たが、友雅がここでの生活にも慣れ、しっかりと生活の基盤も築き上げてしまった今となっては、自分に出来る事などどう考えても見当たらない。
彼の生まれた日を祝おうにも、あかねさえ傍にいてくれればそれでいい、と言うばかりの友雅に、何かを贈ろうにも結局、考えつかなかった。
だから、せめて今日、この日くらいは多少の無理をしてでも、自分と一緒にいられればいいと言ってくれるそのひとと共に時間を過ごしたかったのだ。
…それに、その想いは、自分も同じだったから。
「…だからね、今日はどうしても友雅さんに逢いたかったんです…」
細く響く、声。
触れてくる華奢な掌の柔らかさ。
そこに秘められた想いの温かさが、自分の胎でどれほどに甘い漣を齎すか、彼女は知っているのだろうか。
「…誕生日には、贈り物をもらえるんだったね」
ふと思いついたかのようにそう口にした友雅に、あかねはえっ?と彼の方を見上げる。
「そうですけど…。友雅さん、欲しいものがあるんですか?」
「…欲しいものなら、あるよ」
無邪気に聞き返す少女に、抑えた深い声音が答える。
…たった一つだけ、どうしても欲しいものが、ある。
ずっと焦がれ続けているものが。
時折、目にしているだけでは充たされない、それほどに求め続けているものなら。
「このまま、君を攫ってしまおうか…」
吐息のように零れ落ちる囁きの甘さに、あかねは一瞬、瞬きも忘れ、大きな翡翠の瞳を見開いた。
その額に貌を寄せるようにして、友雅は少女の瞳を覗き込む。
…静かに交わされる、双色の視線。
「…いいですよ」
ぽつりと、桜色の唇が言葉を刻む。
小さな…けれど迷いのない口調。
向けられる、凛と澄んだ眼差し。
それは、かつて彼女が自分の想いに応えてくれた、「あの時」に見せたものと同じ…。
魅入られたように、暫し言葉を失っている友雅の前で、俄にじっと見つめている深い蒼の瞳に気がついたのか、あかねは我に返ると鮮やかに頬を染めた。
…そのまま、彼女は恥ずかしげに俯いてしまう。
「…あの、でも、もう少し、待ってて下さいね。もう少しだけ…」
…そう、もう少し。
この世界で、自分で路を選び、歩んで行ける「大人」になるまで。
――― そうすれば、躊躇わず、自分の力で、意思でその腕に飛び込んでゆけるから。
一言ずつ紡がれる、真剣なあかねの答えに友雅は柔らかく微笑んだ。
「…判ったよ。それなら楽しみに待っていよう」
何よりも誰よりも、自由に解き放たれている少女。
そんな彼女を、他の何を擲ってでも欲しい、と望んだのは自分。
その腕を放す事は、決して出来はしないけれど。
自由に羽ばたくその羽を手折りたいわけでもない。
――― そう、いつの日か、彼女が自ら舞い降りて来るというのなら。
…そんな彼の内心を知ってか知らずか、あかねが嬉しそうに、零れるような微笑を見せた。
それを目にしただけで、こうして腕の中に閉じ込めたまま攫ってしまいたくなる衝動と、この笑顔を護る為ならいつまででも待てるとも思ってしまう自分の矛盾に、友雅は内心で思わず苦笑した。
そんな胸の胎を押し隠すように、少女の滑らかな額にそっと触れるだけの口づけを落とす。
あかねの伏せられた長い睫毛が微かに震えたのが、視界の端に映った。
…――― あの時、自分は彼女を囚えたつもりだった。持てる自分の総てで。
だが本当に囚われたのは、恐らく私なのだろう。
――― 総てが終わり…昏々と眠り続けるあかねを見護っていた、
あの一年前の初夏の夜。
少女が龍神を召喚した瞬間に過ぎった、我を忘れそうな激しい感情を思い出しながら、
自分にとってあかねがどれほど得難い存在であったのかを、突きつけられたような気がしていた。
だからこそ、少女が「京」という世界にあっては異質なものなのだと、
彼の地へは留める事は叶わないのだと言うのなら。
自分が此の地へと少女を追ってゆけばいいのだと、何の躊躇いもなく、決めていた。
それが罪なのだとしても、その罰が罪を犯した自分に降りかかるのなら構わないと。
――― そうして今もまだ、このたった一人の少女にこれほどまでに囚われている…。
…だが、それもいい。
この息が止まる、その瞬間(とき)まで。
永遠に、囚え続けていてくれるなら ―――…。
FIN.
2002.7.2(TUE)UP.
< Copyright(c) Yuki Kugami. 2002. / Site 「月晶華」 >
‡COMMENT‡
友雅さん生誕記念創作、前後編です。 まずは後編のUPが大変遅れてしまってごめんなさい〜…(゚-゚*;)オロオロ(;*゚-゚)。 友雅さん主役で創作を書くのは久しぶり…だったのですが、いかがだったでしょう? ちゃんと友雅さんの魅力が出ているでしょうか(滝汗)。
お誕生日創作なので、もうちょっとそれっぽく出来れば良かったんですが…。
でも、一応、「日付」には絡めてあったりするのです。 「壱」を読んで気づいて下さった方もいらっしゃるかもしれませんが、 あのお話の時間設定は最終決戦を終えた日、水無月十日の夜。 真夜中をすぎているので十一日…な訳です(*^-^*)。
お互いを大事に想いあっている雰囲気が伝わればいいなぁ〜…と思いつつ、 書き上がってみれば、友雅さんの方がかなりめろめろっぽいかも…(笑)。 甘さ加減はどうでしょうね、う〜ん…??
…はっ、でもよく考えたらあかねちゃん、前後編通して抱っこされっぱなし…? (←気づくのが遅すぎ。)
ともあれ、拙いお話ですが楽しんで戴ければ嬉しいです♪
そして友雅さん、お誕生日おめでとうございますvv
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