§
「これが最後の警告だ。お前達はアーティファクトから手を引け。これ以上の抵抗は無意味だ。…それからシビル、お前は私達と共に来るがいい。そうすれば他の者達は見逃してやらぬでもない」 清廉な、銀の絲のように澄んだ声が淡々と告げる。 “ 投降か、さもなくば死か ” 無惨な破壊の痕と血臭が生々しく残るその場には不似合いな ――― アリア、若しくはモナドと呼ばれるあの少女の言葉一つで、自分達の命は一瞬で摘み取られるのだと。 禍々しい敵意と息詰まる緊張が色濃く漂う異界の森、その中央に凛と立つ異国の少女。 群雲の合間から零れる、不安定な月明の光と影に彩られながら、その姿には清浄な気配と強い自負が漂っている。 珠紀はふっと瞳を伏せ、次いでゆっくりと辺りを見回した。 拓磨が彼女の肩に手を置き、真弘がニッと強気な笑みを浮かべる。祐一は静かな力強い微笑で珠紀を見つめ、慎司は真剣な面持ちでぎゅっと拳を握り、卓は安心させるように緩やかに頷く。 誰もが皆、満身創痍にも拘わらず、誰一人として諦めてはいなかった。 だが、そうして自分達の意志を伝えながらも決断を彼女に委ねようとする彼らの瞳に、珠紀は自分への信頼を見たと思った。 その信頼に応えるべき返答は一つしかない。 否、初めから珠紀にとってはアリアの提示した選択に意味など無かった。 珠紀はアリアを正面から見据え、静かに口を開く。 「 …鬼斬丸は、渡せません」 「これだけの力の差を見せつけられて、なお抗うと?」 アリアの反問に、珠紀は一瞬、言葉を呑み込んだ。 …自分の答えを、人は愚かな選択と嗤うだろうか。 今、この瞬間、他ならぬ自らの手で守護者達の未来を消し去るかもしれない決断を。 ――― それでも。 「 …みんな、大丈夫だって、まだ戦えるって、そう言ってる」 たとえ勝てる見込みなど無くとも、譲る気など無いと。 「こんな時に皆を信じられなくて…何が仲間だって言うの…!」 一息にそう言い募り、珠紀はアリアを、そしてその傍らに控える僕達を挑むように見据える。 そうして徐に、少女はその口の端に微かな微笑を浮かべた。 「それに私だけ、助かるつもりなんて、無いから」 「 …なに?」 珠紀の決然とした答えにアリアは驚いたようにその蒼い瞳を見開いた。 真意を量っているのか、暫し沈黙し、ややあってふとその形の良い眉が顰められる。 「シビル、お前はこの私が約定を違えるとでも?」 大人びた仕草で腕を組み、こちらを見据える少女の姿からは高い矜持が窺える。だが、その瞳に微かに傷ついたような色が過ぎるのを認め、ああやっぱり、と珠紀は思う。 アリアは冷酷な人間でも、心が解らない人間でもない。 何故かその事に安堵にも似た心地を覚えながら珠紀は金の髪の少女を見つめ、そしてゆっくりと頭を振った。 「 …そうじゃない。でも、私は皆と一緒にいるって、決めてるから」 だから従う事は出来ないと言外に告げる。 たとえここで自分が彼らに従ったとしても、守護者達は決して引き下がりはしないだろう。どれほど勝ち目のない闘いでも、きっと最期まで抗う事を止めない。 何故ならそれが今の彼らの存在意義であり、誇りであり、呪縛、なのだから。 ならばせめて自分は何があっても、最期まで彼らと共に在ろうと、何時しか珠紀は考えるようになっていた。 覚醒も果たせず、自分の身一つ満足に護る事も出来ない、無力で不甲斐無い玉依姫。 そんな自分を、たとえ古からの契約に従っただけであったとしても、命懸けで護ってくれた守護者達。 だからこそ、彼らを見捨てて自分だけ生き延びるつもりなど、珠紀には無かった。 どれほど死が恐ろしくとも。 珠紀はアリアから視線を逸らさぬまま、常ならば自分の前に立っている筈の彼らの姿を思い浮かべる。そして今し方、彼らが見せたそれぞれの表情を。 ――― ずっと、その背中を見ながらいつか隣に並ぶ事が出来たらと、そう思っていた。 互いに護り護られる、対等な存在として。彼らの仲間として。 その望みも、或いは今日此処で消えてしまうのかもしれない。それでも。 いつもいつも、彼らの背中を見ながら祈る事しか出来ない自分を、それでも仲間だと認めてくれた、彼らの為に。 そんな彼らと、いつか肩を並べられる未来を信じる為に。彼らの信頼に応える為に。 珠紀は、現実に抗う決断を下す。 闇は深く、生い茂る木々の遙か高みにかかる月は夜空を切り裂くように鋭い弧を描き、降り注ぐ蒼い月光が対峙する二人の少女の全身を照らす。 音を立てて駆け抜ける風に乗り、上空を流れゆく雲が弦月を遮り、一瞬先の嵐を予感させるようにざわざわと揺れる梢が地上に疎らな陰影を刻む。 散り散りに降りかかる月影の中、奇妙な緊張と静寂が辺りを充たす。 …やがて幼い少女の唇から零れ落ちる、密やかな吐息。 一瞬、迷うように閉じられた蒼い瞳が再び緩やかにその色を覗かせるのを、珠紀は胸の裡で大きく鳴り響く鼓動と共に目の当たりにしながら、不意に背筋に震えが這い登るのを自覚する。 ――― その先に訪れる、真の破滅と絶望も知らず。 珠紀は次第に心に湧き起こる不安を押し殺しながら、まっすぐに金の髪の少女を見据えていた。 【 …To be Continued. 】 2006.8.23(WED)UP. < Written by Yuki Kugami. 2004-. / Site 【 月晶華 】 > |