うさぎとプライド § 京の洛北に北山と呼ばれる一帯があった。 鬱蒼とした木々が生い茂り、山の霊力が高い地は、妖でありながらも聖性を 持つ天狗によって守られし聖域でもある。 邪な心を持つ者は、その足を押しとどめられるといわれ、あまり人の近づかな い場所でもあった。 その北山にひとりの陰陽師が庵を構えていた。 京では知らぬ者はなかったが、大層な人嫌いとも言われていた為、滅多に姿を 見ることはなかった。 もっぱら、安倍家に関わる事でしか山を降りなかったせいで、その姿を隙間見た者は 驚きのあまり息を飲むことも多かったという。 『北山の隠者と言われておるからどのような老人かと思っておったが、あのような 容姿を持っておるとは。まるで人外の者のようではないか。』 その噂は風のように伝わり、いつのまにか京中でひそひそと囁かれるようになっ たのである。 さて、その噂の当人だが、今日は珍しく人を連れて山を歩いていた。 その者は、歩きにくい雪道を彼の後についていくのだが、きょろきょろと当たりを 見回しながらの為に、どうしても先を行く彼とは離れがちだ。 何度目かの振り向きに、とうとう彼が立ち止まった。 「・・・・神子。お前は一体何をしている?これで、何度目だ?」 「ごめんなさいっ。なんか珍しくて。」 「そうか?別段、そう感じた事はないが・・・・。」 「それは、泰継さんが毎日見ているからですよ。私はこんな山奥に入った事なん てないもの。」 「・・・・そういうものか。だが、後をついてこないと庵にはいつまで経っても辿り着 けぬ。」 「は〜い。わかりました。」 彼が怒ったら恐いのを実感している彼女は、素直によい子の返事を返す。 「わかればよい。行くぞ。」 淡々と彼女の返事を受け流し、彼は踵を返す。すたすたと歩く後ろを、神子と呼 ばれた者は小走りに付いていった。 「泰継さん?」 「なんだ。」 「いつになったら、花梨って名前で呼んでくれるんですか?」 「何故だ。」 「何故って・・・・・もう、神子ではないんですから。」 「それは違う。お前は形式的なものをいうのやも知れぬが、内なる神気はなくなっ てはおらぬ。それどころか、当初よりは増しているぐらいだ。だから、神子を神子 と呼んで何が悪い?」 「泰継さんにはそう見えるかも知れないけど、せっかく二人きりなんですから、 名前で呼んで欲しいです。」 「『見えるかも』ではなく『見える』のだ。言葉は正しく使え。」 「・・・・・・。」 どうやら、実力随一の陰陽師殿は乙女心には疎いらしい。すでに土足で、繊細な 乙女心の爆弾をいくつも踏んでいる。 「・・・・もう、いいですっ!」 「神子?急にどうしたのだ?気が乱れているぞ。」 「知らないっ!」 ぷんすかと膨れて追い越す花梨を、泰継が不思議そうに後を追った。 「神子。」 「・・・・・・。」 「神子、待たないか。」 「待ちませんっ!」 「道が違う。庵はこちらだ。」 「・・・っ。」 よく知らない道をムキになって歩いていて、通り過ごしたらしい。至極冷静に、道の 分かれた所で指摘されてしまった。 恥ずかしいやら、泰継の落ち着いた態度に腹が立つやらで、花梨の頬に赤みが はしる。 さらに頬を膨らませて、道に佇む彼の横をすり抜けると、花梨はそのまま足早に歩 いていってしまう。 その態度に首を傾げながら、泰継は何も言わず彼女の後に続いていた。 今、声をかけても良い結果にはならないと判断したからである。 (何故、あのように気を荒げているのか・・・・。) 愛しい神子の行動は、彼にとってはわからない事が多い。だが、それも楽しい 経験となり、新たな考えの道筋ともなっている。 考える事が趣味と言い切る彼にとって、花梨の全てが知識欲を刺激してくれる のだ。 先を行く花梨の姿から目を離さず、泰継はいつもの調子で歩き慣れた道を進ん でいく。 そんな彼の顔に浮かんだ笑みなど気が付かず、花梨は息を乱しながら歩いて いた。 雪を踏みしめた道を進み、葉の落ちた木々を抜けると、建物がちらちらと見えて くる。 さらに近づくと、森の中に開けた所があり、そこだけ日の光が射し込み、雪に反 射して眩しい程だ。 その一角にこぢんまりとした庵が立っていて、傍には小川が流れている。 「ここが・・・・?」 元の世界で見た写真やポスターなどでみた水墨画のような風景が、目の前に広 がっている。 言葉もなく立ちつくす花梨の後ろから、泰継の雪を踏む音が聞こえてきた。 「どうした?神子。」 「え?あの・・・・あの家が?」 「そうだ。そのように立っていないで、こちらにくるがいい。体を冷やしてしまう。」 先程まで怒っていた事を忘れ、先を促す泰継の後について、花梨は庵へと足を 向けた。 「落ち着いたか?」 泰継は庵に花梨を招き入れると、薪をくめて火を熾し、体を温めるようにと白湯 を渡してくれた。 庵の内部は思ったより広く、「庵」という花梨のイメージからくるみすぼらしさは 感じられなかった。 部屋数は多くはなさそうだが、それでも炉がある土間や書斎として使っているら しい部屋がある。 庵というからには一間しかないと思いこんでいた花梨は、以外と大きな造りに驚 いていた。 「あっ・・・はい。・・・・庵って以外と大きいんですね。」 「そうか?そのように感じた事はないが。」 淡々と変わらぬ口調で返事が返ってきた。手に持った器から温かさが指に広が ってゆく。当人が思っていたよりも、体は冷えていたらしい。 ほわほわとした湯気の向こうに泰継の端正な顔が見える。 よどみにない動作で自分の器にも湯を注ぐと、炭に火を熾している。 花梨の胸がじんわりと温かくなる。 (何か・・・・・幸せだよね・・・・。) 白湯を飲みながら、動き回る泰継を見つめる。 (これって、彼の部屋に遊びに来たって感じかな?) そこまで考えて、花梨はとある事に気が付いた。 (いや・・・その・・・遊びにくるんじゃなくて、とっ泊まりに来た方かなっ。) 自分の考えに頬がかぁぁ〜と熱くなり、赤みがさしているのがわかる。 (やっやだっ。何か恥ずかしくなってきた・・・・。) 花梨が急に落ち着きなく動く様子に、泰継は訝しげに顔を向けた。 (今度は一体何を考えている?) とにかく花梨は動いたと思ったら、泰継の想像を上回る事をしでかすので目が 離せない。 先代の地の玄武である泰明の書き付けにも、同じような記述があったから、 龍神の神子特有なのかとも思っているが・・・・。 じっと興味深げに泰継が見ている事に気が付いて、花梨の頬が更に赤くなった。 「あのっ、私、暖まったから、ちょっと外に出てきますっ!」 「神子?せっかく暖まったのなら、ここにいるがいい。また冷えてしまうではない か。」 「いえっ、ちょっとだけだしっ。」 ぎこちなく動きながら沓を履き、あたふたと慌てて外へと出ていった。 「・・・・・わからぬ。」 (神子は何をしているのだ?) そう呟く彼の疑問は、実は世の男性の大多数の疑問である事を彼は知らない。 顔の火照りを冷ますために庵から出てきた花梨だが、庵の奥の方の壁に寄りか かって息を吐いていた。 「何やってるんだろう?私。」 今更ながらに、自分の行動が信じられない。 「心の準備は出来ていると思ったのにな・・・・。」 もう一度息を吐くと、紫姫の館での事を思いだした。 何時のように朝餉を終えた後、手習いをしていたところへ紫姫がやって来た。 「神子様、泰継殿がいらしてますわ。お通ししてもよろしいですか?」 「え?泰継さんが?」 出された名前に花梨は思わず聞き返す。 このところ『安倍の家の用事で忙しい。』との文を寄越したきり、とんとご無沙汰 だったのだから。 恋人の訪れに花梨が目を輝かせた。 頬を紅潮させながらいそいそと支度を整える様は、まさに恋する乙女そのもので、 思わず紫姫が笑い出してしまう。 「まぁ、神子様ったら。よほど嬉しいのですね。」 「やっやだ、紫姫。からかわないでよ。」 妹のような少女の笑いに、花梨が真っ赤になって俯いた。 そんな様子にころころと優雅に笑うと、紫姫は取り次ぎをすべく花梨の部屋を 下がっていく。 程なく、規則正しい足音が聞こえてきたと思うと、廊下から声がかかった。 「神子、入るぞ。」 「はい、どうぞ。」 御簾を上げ几帳をさけて泰継が入ってきた。久しぶりに見る恋人の姿に、花梨の 顔がぱっと明るくなる。 いくら感情に疎いとはいえ、恋人の機嫌ぐらいはわかったらしい。花が綻ぶような 笑みに、彼の顔にも笑みらしいものが浮かんでいた。 「いらっしゃい、泰継さん。」 「しばらく顔を出さなくて悪かった、神子。」 「ううん、こうして来てくれたからいいんです。」 自分とは違い、八葉の彼等には歴とした仕事がある。そんな中で自分に会いに 来てくれるのだ。文句を言っては我が儘すぎると、花梨は自分の気持ちを言わな いでいた。 「でも、お仕事は終わったんですか?」 「8割方はな。後は本家の者だけでも出来るので、北山に戻ろうと思ったのだ。」 「北山に?」 「ああ。大丈夫だとは思うが、そろそろ庵の様子を見てこなければならないだろう から。」 「じゃ、じゃぁ、私も一緒に行きたいですっ!」 「神子?何を言い出すのだ?」 またしばらく会えなくなるという焦りが、その時の花梨を突き動かしていた。 思ってもみない彼女の発言に、泰継も目を見開く。 「いくら私が普通ではないとはいえ、京の常識ぐらいは知っているぞ。第一、今 から行けばこの屋敷に帰る頃には日が暮れている。龍神が怨霊を祓ったとは いえ、夜はやはり妖の領域。お前を危険な目に会わせる訳にはいかぬ。」 「でも、北山にいっちゃったら、また会えなくなっちゃうでしょ?」 「そうは言っても・・・。」 「だったら、私、庵に泊まりますっ!それなら、帰る心配もしなくて済むし。」 「・・・・・・。」 花梨の爆弾発言に、泰継の目が細められた。 「神子。」 「はいっ!」 いつもより低い声に彼の本気が滲み出る。条件反射で返事をした花梨は、何事 かと彼に向き直った。 「私の庵に泊まるというのなら、それ相応の覚悟があるのだろうな。」 「かッ覚悟・・・・・って・・・・・。」 「私とて男だ。そうでなければ軽々しく言葉を使うな。穢れを呼ぶ。」 「ちっ違いますっ!わっわかってます。でもっ・・・・・行きたいんです。」 真っ赤になって一歩も譲らない花梨を泰継がじっと見つめる。 痛い程の沈黙の間、花梨は震える膝を押さえながら泰継の返事を待っていた。 (きっ嫌われたかな・・・・・。) 少し涙目になりかけた時、静かな声が耳に聞こえた。 「・・・・紫姫に言ってくる。」 そういって泰継は席を立ち、花梨はこの庵へとやって来たのである。 彼が紫姫に何を言って、花梨の外泊を許可して貰えたのか。 何か聞くのが恐い気がして、ここに来るまでに言い出す事が出来なかった。 口に出す事で、泰継が傷つくのが恐かったという方が正しい。 口調や態度で誤解される事が多いが、本当の彼はすごく繊細で傷つきすい人だ。 ようやく心を開いてくれたのに、不用意な一言であの悲しげな顔をさせたくない。 「う〜ん。ちょっと後ろ向き・・・・かなぁ。」 はっきりいえば奥手(鈍感)の花梨が、勢いとはいえ『泰継の所の泊まりたい。』 などと言う事自体が、大変な出来事だ。 いざという時になって怖じ気づいても仕方がない・・・・のだろう。 「自分でも大胆な事言っちゃったかな・・・・。」 今更ながらに、あの発言の重大さを思い知る。 (覚悟って言ってたっけ・・・・覚悟・・・・・。やっやだっ。わかってるけど・・・・・。) 思わず想像してしまった内容に、彼女は首まで真っ赤になる。 勢いよく首を振って、自分の想像を追い出そうとするが逆効果だった。 元の世界の知識が思い出されて、ますます熱が上がってくる。 焦る気持ちを誤魔化して、花梨は庵の前の雪原に目を移した。 晴れているせいで、日の光が雪に照り返されて眩しい。彼女のもやもやした気持 ちも、その光に洗われるようだった。 先程二人が歩いた跡が残り、かろうじて人がいるという形跡が見える程度で、 後は全てが雪に埋もれている。 人の力が及ばない本当の美しさに、花梨はうっとりとその風景を眺めていた。 それ程時間は経っていないだろう。寒さに耐えかねて体が震えたのを期に、 花梨は庵へ戻ろうと歩き出した。 その時、目の端に何かを捕らえる。 (え?) もう一度目を凝らすと、雪の中に茶色いものが動いている。 「なに?あれ。」 それも花梨に気が付いたらしく、こちらに少しづつ近づいてくる。 もこもことした体に、長い耳・・・・。 「うさぎっ!!」 花梨の目が輝き、嬉しそうな声が山に響いた。 「・・・・何だ?」 その頃、外に行ったきり戻ってこない花梨を案じて、泰継が衣を持っていこうとして いたところだった。 彼女に気がやけに揺らいでいるのがわかる。戸に手をかけた時に、花梨の叫び声 が聞こえてきた。 「うさぎっ!!」 よく響いた声に、泰継が慌てて戸を開けた。外に出て視線を巡らせば、庵の奥 ・・・・庭のようなところに見覚えのある衣が見える。 「神子っ!」 何かあったのかと駆けつけてみれば、肝心の花梨はそこにうずくまって、ぶつぶつ と何かを言っている。 その様子に泰継の顔からさーっと血の気が引いた。 「神子っ!どうしたっ!」 「可愛い〜〜っ。こっちおいで、おいで。う〜ん、この仔って野生のうさぎだよね。 ダメかな〜。触らせてくれないかなぁ〜。」 切迫した叫び声に、なんとも暢気な声が返ってきた。泰継の緊張が一気に崩れる。 気持ちを取り直して気を探ってみれば、周りにおかしな気配は何もない。 (一体、何をしている?) どうやら泰継の予測外のことをしているらしく、彼には状況がわからない。 (まったく、神子は目を離されぬ。) 内心文句を言いながらも、その顔はうっすらと笑っていた。 自分一人ではあり得なかったこの出来事は、彼の神子がいるからこそだ。 この絶えず変化する時間が、人である証ならばそれも悪くはない。 長い時を経て手に入れた、彼のかなわぬ夢なのだから・・・・。 泰継はほんの数歩でその距離をつめると、上から花梨を覗き込んだ。 「------何をしている?」 「うひゃぁっ!」 突然に降ってきた声に、花梨は悲鳴を挙げて立ち上がってしまう。 だが、悲しいかな。しゃがみこんでいたせいで、足がもつれて後ろへと倒れ込ん でしまった。 「うわっ!」 思わず目をつぶって衝撃に耐えようとしたが、代わりに柔らかいものに触れた ような気がする。 (あれ?痛くない。) 恐る恐る目を開けると、真正面に泰継の色違いの瞳が花梨を見つめ返していた。 (うわっ・・・・綺麗な目・・・・。) 花梨は泰継の瞳に吸い寄せられたように、じっと凝視したまま固まってしまった。 「神子?大事ないか?どうした?」 気づかう声に、彼女は自分がどういう体勢か思い出し、かぁぁぁっと顔がほてって きた。 ぼんっという音をたてる程に赤くなった花梨が、慌ててそこから逃げ出そうとする。 「やややや泰継さんっ!どうしてここに?」 「どうしてとは何だ?お前の声が聞こえてきたので探しに来てみれば、赤くなった り、青くなったりと顔色が悪い。何かあったのか?気も乱れているぞ。」 冷静に症状を下してくれる恋人に、花梨は少し・・・・少〜し後悔した。 「ううんっ!びっくりしただけ。ごめんなさい、泰継さん。」 起きあがろうとする花梨に、伸ばしたままだった泰継の腕が名残惜しげに下がっ ていった。 彼としては、柔らかな花梨をだきしめていられる絶好の機会だったのだ。 (もう少しあのままでも良かったが。) 花梨が聞いたらすぐさま飛び退く考えを隠して、泰継は先程の疑問を解くための 質問をする。 「それならば良い。だが、先程は何をしていた?」 「え?ああ、ほら、あれを見てください。」 「あれ?」 彼女が指さす方には、見覚えのあるものがじっとこちらを見ていた。 「なんだ、うさぎか。」 「泰継さん、知ってるんですか?」 「時々、この庵のまわりをうろついているな。たまに近寄ってくるが・・・・。」 「へえ〜そうなんですか・・・・。」 泰継に答えに、再びうさぎに目を移した花梨は、近寄ってくるそれに笑みを浮かべ た。 「やっぱり可愛いっ!抱き上げたら暴れるかな〜。」 「神子の気は暖かい日の光のようなものだ。それをあれらはわかっているのだろ う。 自ら好んで近寄ってくるのだ。大丈夫だと思うが。」 「そう・・・・ですか?じゃ、いいかな?」 日の光うんぬんはよくわからないが、嫌われていないのなら抱き上げてもいいか と、うさぎに話しかけてそ〜と手を伸ばす。 すぐ傍まで来ていたうさぎは、耳をぴくりと動かしたが、花梨に撫でられるままに 大人しくしている。 それに気をよくした彼女は、静かにうさぎを持ち上げると、胸の中に抱きしめた。 「うっっわぁ〜、ふわふわだ。以外と重いし、体が熱いんだね。」 腕の中でじっとしているうさぎに話しかけながら、花梨はその顔を覗き込む。 鼻をヒクヒクさせていたうさぎは、花梨の瞳をちらっと見ると、すりすりと肩に頭を 預けてきた。 「うんうん、気持ちいい?暖かい?いいこだね〜。」 動物に懐かれて嬉しくない筈がない。ましてや、相手は可愛いうさぎ。気性はとも かく、外見は愛らしい姿に、花梨が嬉しそうに笑った。 その笑顔に、そうは見えないが不機嫌モードに切り替わってしまった泰継である。 (面白くない。) 先程の甘い雰囲気はどこへいってしまった?というぐらい、花梨からは無視され てしまい、彼としては甚だ面白くない。 あの日の光の様な笑顔も、自分を呼ぶ声も、すべてが自分に向けられていたの に、今はもこもこしたものに奪われてしまっている。 (こいつ・・・・。) 眼光鋭く睨みつけられてもうさぎはどこ吹く風で、花梨の腕の中で気持ちよさそう に鼻を動かしていた。 龍神の加護を一心に受ける花梨は、どこにいてもすぐわかる。暖かい、穏やかな 気が、際だって目立つからだ。 訓練を積んだ泰継のような者はいうまでもなく、自然に身を置いている獣達には 一目瞭然なのだろう。 初めてにもかかわらず、花梨に近づくのが良い例だ。 だがっ! 自分がいるにも関わらず、目も向けて貰えないとはなれば話が違う。 大事な、大事な、大事な神子を独り占めした、許せぬ奴という訳だ。 「気持ちいい?そっか、お前だけ?」 (それ以上いてたまるものか。) 「あはは、くすぐったいよ〜。」 (この・・・・。) 自分でさえ数える程しか抱きしめた事がない花梨に、ぴっっったりとくっついている 物体に、泰継の目がつり上げる。 「ん〜可愛い♪」 肩口にあるうさぎの頭に、嬉しさのあまり紅潮させた頬をすり寄せる花梨に、泰継の 中の数少ない限界が切れた。 「神子。」 「何?泰継さん。」 「そのうさぎが気に入ったのか?」 「うんっ。すごく可愛い。」 「ならば決めた。」 お日様のような笑顔に、泰継の手が花梨の腕の中のうさぎに伸びた。 そのまま首根っこを掴み、彼女から引き離すと、くるりと向きを変えて庵へと足を 向ける。 「今宵はうさぎの羮だ。」 「え?」 (うさぎの羮・・・・・羮って、確か煮物の事だよね。うさぎの羮っていうことはっ! うさぎ汁?!?!) 泰継が何を言ったのか理解すると、花梨はあわててその後を追った。 「泰継さんっ!」 「何だ。」 「まさか、そのうさぎ・・・・煮物・・・・羹にする気じゃ・・・・・。」 「お前が気に入ったのだ。これも神子に食べられるなら本望だろう。」 腕を持ち上げてうさぎを目にして笑う顔は迫力がある。己の運命を感じたのか、 首を掴まれながらもうさぎはバタバタと暴れ出した。 「無駄だ。逃がしはせぬ。」 口端を上げながらうさぎを見る目は、間違いなく底光りしていた。 「泰継さんっ!」 泰継の本気を感じ取った花梨は、慌てて哀れなうさぎを奪い返すと、その腕の中 に抱きしめた。 心なしか、小さな体が震えているような気がした。 「なんてこというんですか!可哀相でしょっ!」 「おかしな事をいう。人は何かを食さねば生きてはゆけぬ。今宵、食するのが、 たまたまこのうさぎだっただけの事だ。」 「だからって、こんな可愛いのにっ。」 「神子がかばうのならば、なおさらだ。・・・・生かしてはおけぬ。」 端正な顔に浮かぶ笑みとは裏腹に、その目はじっと花梨がかばううさぎに注がれ ていた。 「泰継さんっ!私は食べませんよ。このうさぎを使っても。」 「構わぬ。神子が食せぬとも、私が始末をつける。」 二度も花梨の胸に抱かれたうさぎを、泰継は許す気はないらしい。 「神子。そのうさぎを渡せ。」 「いやですっ!ほらっ、早く逃げなさいっ!」 手を伸ばす泰継から走って逃げると、花梨はうさぎを雪原に離した。 「ほらっ、泰継さんが来ちゃうよっ。」 「無駄だ。」 あっさりと花梨に追いつくと、泰継は雪の上のうさぎに手を伸ばした。 「泰継さんっ!」 花梨が叫んだその時。 うさぎがもぞもぞっと動いたかと思うと、猛烈な勢いで後足を動かして雪を飛ばし てきたのだ。 「うわっ!」 狙いすましたのか、雪は泰継の顔に直撃して、うさぎを掴んでいた手を離してし まう。 その隙をついて、うさぎはあっという間に森へ向かって走って逃げた。 最後に、花梨の方へと向き直って耳を動かしながら・・・・・。 「おのれっ!!あのうさぎっ!」 珍しく怒った泰継が拳を握りしめるが、すでに獲物は逃げ去った後。 怒り沸騰の彼が森を睨みつけても、探し出せる筈もなく・・・・・膝をついてしゃがみ 込んだ泰継の顔には雪が残っていた。 「ほらっ、泰継さんがあんな事を言うから、仕返しをされたんだよ。」 「うさぎだと思っていれば・・・・・。」 眉を上げて悔しそうな泰継に、花梨が笑い出した。 「そんな事を言っているから、うさぎもわかるに決まってるよ。だから、こんな目に 遭って。」 顔や髪に付いている雪を払いながら、花梨は泰継の手をさしのべた。 「はい、泰継さん。服が汚れちゃうよ。」 また不満そうな様子だったが、花梨が自分を気づかってくれた事で機嫌が少し直っ たのだろう。 素直に小さな手を握ると、引っ張られるままに立ち上がった。 「あ、膝はそんなに濡れてないって・・・・やっ泰継さんっ。」 「何だ?」 しかし、伊達に90年生きていないらしい。反動を利用して、ちゃっかりと花梨を胸の 中に引き込んでしまった。 しっかりと抱きしめられた花梨は、身動きが出来ずに泰継の胸できょろきょろする ばかり。 「ど〜して、こんな風になる訳?離して下さいっ。」 「嫌だ。」 「泰継さんっ。」 「せっかく二人っきりだというのに、神子は私を見ようともしない。何かあったかと 思えば、うさぎばかり可愛がる。今度は私が可愛がってもらう番だ。」 拗ねた口調で花梨を抱きしめてくる。まるで、大きな猫が懐いているような感覚だ。 (もしかして、泰継さんてすねっこ?おまけに甘えっ子で?) ぐるぐると回る頭の中で、何故か冷静に恋人を分析している彼女がいた。 (しょうがないなぁ。そんなところも好きなんだから。) これって惚れた弱みかなぁ〜。などと的はずれな事を思いながら、花梨は泰継の 態度に笑いが出てしまう。 (それにしても、泰継さんがねぇ〜。) 小さく笑うと、花梨は泰継の背へと手を回した。そして、目の前の胸に擦り寄り ぎゅっと抱きしめる。 「神子?」 「あのね。私は泰継さんしか見てないよ?」 「?」 「確かにうさぎは可愛いけど、私の好きな人は一人しかいないんだから。」 「神子・・・・。」 「誰だか、わかるよね?」 頬を染めながら見上げてくる花梨は、確かに泰継しか見ていなくて・・・・。 近づいてくる顔に、自然と彼女の瞼が閉じられていく。 柔らかな唇を存分に味わった後、ぐったりとした花梨を抱き上げると、泰継は庵へ と 踵を返す。その首には、しっかりと小さな手がしがみついていた。 翌朝、朝日が雪を輝かせる頃。 庵の奥の戸が静かに開いた。髪を流し単衣を纏った泰継が眩しさに目を細める。 後ろ手に音をたてずに戸を閉めると、外を見回してその場に座り込んだ。 木々に鳥のさえずりが響き、枝に積もった雪が落ちる音がする。幾度も過ごして きただろう景色の中を、泰継はじっと森の方を目を凝らして見つめ、何かを探し ていた。 しばらくすると、庵の中で何かが動く気配がして、泰継を呼ぶ声がする。 「神子、ここだ。」 「泰継さん?」 袿を羽織った花梨が泰継の衣を持ちながら、声を頼りに戸を開けた。 乱れた髪でどこか眠そうな表情の中に、昨日にはなかった艶が隙間見える。 「どうしたんですか?こんな朝早くに。」 こんなに冷えちゃって。と泰継の手を取って軽く叩くと、持っていた衣を彼に着せ 掛ける。 「探しているのだ。」 「探している?何を?」 「うさぎだ。」 「はい?」 何でうさぎ?と顔に出ていたのだろう。花梨が不思議そうに彼を見る。 その視線に薄く頬を染めながら、泰継は再び雪原に視線をもどす。 「あのうさぎにはしてやられたからな。今度は礼をせねばなるまい。」 どうやら、昨日のうさぎの仕返しが彼の誇りを傷つけたらしい。 胡座をかきながら雪原を見続ける泰継に、花梨は呆れてものも言えなかった。 しかも、ご丁寧に雪球まで作ってある。 (結構、負けず嫌いだったんだね。おまけに静かに怒ってるし・・・・。何か、最初の イメージと全然違うよ・・・・。) 自分の恋人がこういう性格とは思いもしなかった花梨は、そのまま彼の横に座って 同じく外を眺める。 (でも、いいか。私も泰継さんの事言えないしね・・・・。お互い様かな?) 自分の考えがおかしかったのか、泰継の腕に寄りかかって彼女はくすくすと笑う。 「何を笑っている。」 「あのね、泰継さんて思ってた人と違うなぁ〜と思って。」 「・・・・私を嫌いになったか?」 「ううん。反対。」 不安気に見つめる泰継に笑いながら体を起こして、花梨は後ろにまわりこんだ。 何事かと顔を向ける泰継を制して、その首にしがみつくと広い背に体重を軽く 掛けた。 「私の知らなかった泰継さんを見るのは楽しいよ。でもね。」 肩越しに彼の顔を覗き込んで、花梨が悪戯っぽく笑う。 「今はうさぎよりも私を見て♪」 楽しそうな彼女を見返して、泰継はふっと口端を上げた。 「それは、昨日の私の言い分だろう。」 「でも、今日は私の言い分だよ。」 ダメ?という訴えに、泰継の唇が彼女の頬を掠める。 「いいだろう。八葉は神子に従う者だからな。」 「泰継さんっ!」 ムッとした花梨が頬を膨らますと、泰継は小さく笑いながら体の向きを変え、 彼女を腕の中に閉じ こめた。 花梨の抗議は熱い口づけの中に沈んでいく。 「・・・・もうっ、ずるい。」 「そうか?」 しれっと言葉を返すと、泰継は花梨を抱き上げて庵へと消えた。 庵の傍の雪原には、今日もいくつもの足跡が付けられていたが・・・・・やがて、 森へと帰っていった。 < Copyright(c) Mizuki Shinomiya. 2002 / Site 「綾草紙」> |
「サイトOPEN一周年記念フリー創作」泰継さん編です。 真剣にうさぎにヤキモチを妬く泰継さん…。 …可愛いです。可愛すぎます〜vv うさぎが本当に羮になって出て来ちゃったら困りますけど…(笑)。 猫的な「すねっこ」で「甘えっ子」な泰継さんもいいですよね♪ あんな綺麗な貌で懐かれちゃったら、イヤとは言えないです…。 …大きいので、「ぎゅっ」とするのは大変ですけど(笑)。 長い間独りきりで過ごしていた分、 寂しがりな処もあるのかもしれないな、と思ってしまいました。 そんな泰継さんを自然に包み込んであげられる 花梨ちゃんもとってもステキですvv 篠宮さま、素敵な創作をありがとうございました。 by.陸深 雪 |