すいーと・すいーと・ばれんたいん・でい
「はい、安倍くん、コーヒー」 「んっ…」 泰明はレジュメから目を離さず、机の上に置かれたカップの取っ手に指をからめるとそれを口に運んだ。 その様子を見て、同じゼミ室の女子たちからため息が漏れる。 「ホント絵になるよね〜」 「うん、うん。あの渋〜い顔がまたいいんだよね〜」 「だよね〜」 「あ…あの、僕にもコーヒー…」 そんなほかのゼミ生の言葉なんて全く無視して、女の子たちはただただひたすら泰明に見とれている…そんな史学科ゼミ室のいつもの午後のひとときであった… 安倍泰明、22才。ブラックコーヒーのよく似合う、違いのわかる男(何のこっちゃ?)… だと誰もが思っていた… だが、そんな泰明には悩みがあった。 ――に…苦い ゼミの女の子たちが入れてくれるコーヒーはとっても苦くて…おいしくない。 京にいる時は特別好き嫌いはなかった。出されたものは何でも食べたし、飲み物も別段、好みなどなかった。 だが、“コーヒー”…この飲み物だけはどうにも好きになれなかったのである。 だが、同じゼミの女の子たちが自分のために入れてくれるそれを断るわけにもいかず、(先輩によると断るのは礼儀に反するということなので)出されるまま、仕方なく飲んでいたのである。 知らず知らずのうちに苦虫をかみつぶしたような顔になり、その顔を見て、また、女の子たちは渋いと騒ぐのであった… いつものように泰明がゼミ室に顔を出すと、同じゼミの女の子たちが 「はい、安倍くん!」 と言って、何やらこげ茶色の見慣れぬ食べ物を泰明に差し出した。 「これは?」 泰明は怪訝な顔で聞いた。 「今日はバレンタイン・デーなんで、ゼミのみんなからのチョコレート! 食べて。」 「ばれんたいん・でー? ちょこれーと?」 「そっ! バレンタイン・デーというのはね、女の子が男の子にチョコレートをあげる日なんだよ♪」 隣の女の子がひじで小突いて、小声でその子に言った。 「ちょっと、ちょっと、それって違うんじゃない?」 「いいの、いいの。本当のこと言ったら、きっと安倍くん、受け取ってくれないから。」 「そだね。まっ、いいか。」 「何をごちゃごちゃ言っているのだ。」 さらに怪訝な顔で泰明が聞いた。 「ううん。何でもないの。こっちの話。ね、それより食べて!」 泰明は仕方なく、差し出されたチョコレートを一粒つまむと口に運んだ。 ――苦い…コーヒー以上に… 「ねっ、どう? 安倍君、甘いの苦手だと思って、ビターチョコにしたんだ。」 泰明は“おいしくない”とも言えず、ただ無言でうなずいた。 そして、進められるまま3個も苦〜いそれを食べさせられたのである… ――今日はひどい一日だった。 家路につきながら、泰明は大きくため息をついた。 ――ゼミの女人たちからはひどいものを食べさせられるし、いつも必ず自分が帰るころにキャンパスに顔を出すあかねは待てども待てども現れないし…全く何て日だ! 泰明は自分の家へ着くと、ドアの取っ手に手をかけた。 すると、何故かドアの鍵が開いている。 不思議に思って、泰明がドアを開けると、中から 「お帰りなさ〜い!!」 と声がした。 「あかね!」 それまで不機嫌そうだった泰明の顔が途端に和む。 「今日はどうしたのだ? なぜ今日は大学の方に来なかったのだ?」 「うふふ…」 あかねは微笑むと言った。 「今日はバレンタイン・デーだから、ごちそう作ろうと思って、準備のため、直接こっちに来ちゃったんだ。」 「そ…そうか。“ばれんたいん・でー”とは女人が“ちょこれーと”というものを男に渡す日だったな。」 「へえ〜、泰明さん、バレンタイン・デー知ってたんだ。」 あかねはそう言うと、リボンのかけてある包みを泰明に差し出した。 「はい、泰明さん、これ。」 泰明はそれを受け取るとリボンをほどいて、包み紙を取り、箱を開けた。 中から出てきたのは…大きなハート型のチョコレートの塊… それを目にした泰明の顔が途端に曇った。京にいる頃は無表情な泰明であったが、こちらの世界に来てからというもの富に表情が豊かになった泰明。 ただでさえ無表情な中でも泰明の表情を巧みに読み取っていたあかねはその顔を見て、泰明の気持ちをすぐに察してしまった。 「そっか…泰明さん、チョコレート嫌いなんだ…」 「………」 あかねは少しうつむくと淋しそうに言った。 「せっかく私が泰明さんに食べてもらおうと思って、心を込めて作ったのに…嫌いならしょうがないよね。」 「あかねが作ったのか?」 「うん。」 「私のために?」 「そうだよ。」 「あかねが作ったものであれば…」 泰明は意を決して、そのハート型のチョコにぱくっと一口、かぶりついた。 それを見て、 「泰明さん、無理しなくていいんだよ。」 とあかねがあわてて止めようとした。 だが、チョコを一口、口に含んだ泰明の顔はみるみるほころんで、やがて満面の笑みに変わった。 「あかね、とってもおいしい!!」 それを見て、あかねの顔にも笑みが浮かんだ。 「ほんと?」 「まるで、あかねのように甘くておいしい!!」 「泰明さん…」 その言葉を聞いてあかねは耳まで赤くなった。 泰明はとっても嬉しそうにそのチョコをはぐはぐとほうばると、あっという間に食べ尽くしてしまった。 まるで、とっておきのごちそうをもらった子どものような泰明の嬉しそうな笑顔を見ていたあかねは ――か…かわいい!! と思わず思ってしまった。そして、つい泰明をギュッと抱きしめた。 「あ…あかね?」 珍しいあかねのその行動に少し驚いた泰明であったが、すぐにその表情は笑みに変わり、その両腕であかねを包み込んだ。 「本当に甘くておいしかった。ありがとう、あかね!」 泰明はあかねに言った。 「よかった。最初はどうなることかと思ったよ。」 あかねは微笑みながらそう言った。 「だが、ゼミ室でもらったものとはまるで違う。あかね、あれは何という食べ物なのだ?」 「えっ、チョコレートだよ? ミルクチョコレート。泰明さん、甘いものが好きかと思って…」 「やはりあかねは私の好むものをちゃんと知っているのだな。とても嬉しい!!」 「そりゃあ、泰明さんのたったひとりの彼女だもん!!」 「そうだな。」 泰明は微笑みながらそう言うと、いつものようにあかねの顎に手を添えて口付けようとした。 すると、意外にもあかねから 「ちょっと待った!!」 という声がして、それを制止されてしまった。 「あかね、どうした?」 びっくりして泰明がたずねた。 「泰明さん、今、確か“ゼミ室でもらったもの”と言いましたよね。」 「ああ、言ったが…それが、どうしたのだ?」 あかねは頬をぷうと膨らませると少し強い語調で泰明に言った。 「受け取っちゃダメじゃないですか!!」 「な…何を怒っているのだ、あかね!?」 泰明はたじたじとしてあかねに聞いた。 「バレンタインのチョコレートっていうのは、女の子からの愛の告白なんです。 だから、受け取ったということは、その告白を受け入れたということになっちゃうんですよ!!」 「そうなのか?」 泰明はびっくりして聞き返した。 「そうなんです!!」 泰明はそれを聞くと、シュンとしょげて力なく言った。 「すまない、あかね。私は知らなかったのだ。“ばれんたいん・でー”というのは、女人から男にチョコレートを渡す日…としか聞いていなかったものだから…」 あかねはすっかり沈んでしまった泰明を見て、何か言い過ぎてしまったのではないかとミョーに罪悪感を感じ、無理に微笑みを浮かべながら泰明に言った。 「しょうがないですよね。泰明さんは、まだこっちの世界に来たばかりだし、バレンタインのこと知らなくて当然だもんね。ごめんね。少し言い過ぎた…」 「いいのだ。私がいけなかったのだから…」 「ううん。泰明さんはちっとも悪くないよ。でも、次からはぜ〜ったいに受け取っちゃだめですよ!」 「ああ。あかね以外からは何があっても絶対に受け取らない! 誓おう!!」 泰明はそう言って、 ――それにあれは、おいしくないし… と心の中でつぶやいた。 そして、泰明は、その泰明の言葉を聞いて微笑み返したあかねの顎にもう一度手を添えると、やっと無事に口付けをすることができたのである。 安倍泰明、“見かけ”は22才。まだ、この世に生まれ出てたった3年。 甘いお菓子がだ〜い好きな大きなひとりの子どもであった… FIN. |
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泰明さんのバレンタインフリー創作です。 涙さまの書かれる泰明さんはいつもとてもピュアな雰囲気で素敵なのですが、 この創作の「実は苦いモノは大の苦手、甘いもの大好きな泰明さん…」 という設定がとっても可愛くて、戴いてきました〜vv (というより、半分拉致かも(汗)) 私としては「甘い物好き」という所がとてもツボだったのです♪ (一緒に甘いものを喜んで食べてくれるような男性が理想の私…。) …はっ。もしかして私は奇特なひとになってしまうのでしょうか(笑)。 でも、昔は薄味志向でしたし、甘味類は貴重だった筈なので、 そういう意味でも甘味系に惹かれたかもしれないですよね♪ そしてもう一つ…。 「あかねちゃんみたいに甘くて美味しい(!?)」発言には参りました(/////)。 さすが泰明さん!! 涙さま、素敵な創作をありがとうございました。 by.陸深 雪 |