◇◆◇暑中お見舞い◇◆◇
+++++ ――― それは、とある夏の日。 まだまだ陽射しも厳しい午後のこと。 あかね、泰明、天真、詩紋の四人は、庭先で少し早めの夕涼みと洒落込んでいた。 たまたまその日は詩紋の両親が出かけていて一日留守だというので、皆が集まってきたのだが、何せ夏真っ盛り。 地面から立ち上る熱気に景色が歪んで見えるほどの、うだるような暑さに早々に音を上げた天真が何か冷たい物でも買いに行く、と言ってあっという間に飛び出して行ったのが、つい先程の事。 …そして。 「 ――― はい。あかねちゃんはイチゴだったよね」 少し離れた所で繰り広げられている光景に目を遣っていたあかねに、傍らから少し高めのトーンの声がかけられる。 振り向くと、詩紋がにこにこと微笑いながら、イチゴ蜜のかかったかき氷をあかねの方へと差し出していた。 「…あ、ありがとう詩紋くん」 にこっと笑い返すと、あかねは詩紋の抱えている器の内の一つを受け取った。 そのまま手近な所へ腰を下ろすと、ゆっくりとかき氷を一匙掬う。 …かき氷は口に入れた途端、雪のように柔らかく、ふわりと溶けていった。 (うわ…美味しい) 思わず口元に手を当て、暫くその余韻を味わう。 そうしてふと貌を上げると、同じように驚いたような表情を浮かべている詩紋と目が合った。 「…美味しいね」 「ホントにね。…天真くん、いつの間に覚えてきたのかな」 そう言いつつ視線を向けた先には、黙々と氷を削っている天真と、それを眺めている泰明の姿。 …その光景を目にした二人は、ややあって顔を見合わせたまま、くすりと小さく笑いあうのだった。 ガッ、ガッ、と氷を掻き割る音が響く。 邪魔にならないよう、浴衣の袂を紐を襷がけにして留めた天真は、ボール大はあろうかという大きな氷の固まりに孤軍奮闘していた。 氷を押さえている手はかなり冷えてはいるが、まだ残暑の厳しい最中という事もあって、額にはうっすらと汗が滲んでいる。 それでも手を止めることなく、がりがりと氷を削る天真の仕草がよほど興味深いのか、その傍らに立つ泰明は腕を組んだ姿勢のまま、ずっとその作業を見つめていた。 …ただ黙々と、ひたすらにじいっと見つめている視線に、天真は何とも言えない居心地の悪さを感じる。 泰明はともかく好奇心旺盛で、いったん気になり始めると彼自身の納得がいくまで質問攻めにするという、天真たちにしてみれば少々、困った性癖があった。 特にこんな風にじっと眺めているような時は、何かに気を惹かれている証拠。…要注意なのだ。 恐らく今度もまた、某かの疑問を投げかけてくるに違いない。 「…天真」 「ああ?」 ――― とうとう来たか。 こっそりとそう心の中で呟きながら、天真はことさら面倒くさげな様子で答えてみせる。 だが当の泰明はまだ何やらじいっと氷の方を見つめつつ、何やら考え込んでいるようだった。 …いや、正確には「氷を掻き割っている天真の手元」を見つめつつ、と言った方がいいかもしれない。 「なんだよ?」 黙ったまま、なかなかその先を切り出さない泰明の様子が何とはなしに気になって、天真は今度は自分の方から呼びかけてみる。 そんな彼の方へ、何故かちらり、と琥珀の視線を投げてくる泰明。 …そして。 「 ――― 手は、キレイキレイしたのか?」 「……………は?」 …何か今、聞いてはいけないことを聞いた…ような、気が、した。 一瞬、何を言われたのか認識し損なった天真の冴えない反応に、彼が自分の発言を理解していないと思ったのか、泰明は訝しげな貌で聞き直す。 「キレイキレイしたのか、と聞いている」 「…はぁ?」 言葉自体には確かに聞き覚えはあったが、響きの良い声にそぐわないその単語に、天真の目が思わず点になる。 だが本人は至って大真面目な貌で、腕を組みながらこちらを見つめていた。 …どうやらまたしても、テレビで妙な知識を仕入れてきたらしい。 こちらの世界へやって来て以来、泰明は「色々な声で喋る道具」(…だと彼は理解している)である所の“てれび”というものが、いたくお気に召したようだった。 書物や新聞にも旺盛な好奇心を示してはいたが、ここの処、暇があればテレビにかじりついているらしく、泰明は今や立派な「テレビっ子」なのだ。 ――― そのせいか、近頃は突拍子もない質問が増えてきていたのは確かだが…いくら何でも、こんな事を訊かれるとは予想もしていなかった。 そんなこんなでかけられた言葉に一瞬、頭がついていかずに、沈黙したまま些か間の抜けた貌でまじまじと相手を見返してしまった天真の様子に、泰明はどうやら彼の返事が「否」なのだと勝手に解釈したらしい。 ふう、と溜息をつくときゅっと眉を顰めて見せた。 「細菌は高温多湿で繁殖しやすいと、てれびとやらで言っていたぞ。そうでなくとも生き物には雑菌が多い。屋外なら落下菌も無視は出来まい。…一度、流水で洗った方がよいのではないか?」 難しい貌つきで懇々と諭す泰明に、天真は思わずがくりと脱力する。 「流水…。あのな…。 ――― で、おまえ、それどーやって喰うつもりだよ」 「問題ない」 「大ありだろがっ」 思いっきりツッコミを入れる天真に、泰明は訝しげに首を捻っている。 或いは自分の発言の何処に問題があるのか、見当がつかずに困っているのかもしれない。 それはそれで、かなり問題があるような気がしなくもないのだが。 ――― 同じ仕入れるなら、一般常識からにして欲しい。 泰明の思考に振り回され気味の天真は、かなり切実にそんな事を思う。 だが、そんな密やかな天真の願いなどつゆ知らず、泰明はものの数十秒でその疑問を放棄したらしい。 「…それよりも神子に障りがある方が困る」 さらりと返された泰明の言葉に、…ぶつり、と、とうとう天真の堪忍袋の緒が切れた。 「あ〜そ〜だな、そ〜かもなっ! でも言っちゃ悪いがあかねはもう喰ってるぞ!」 「…天真」 …何故に其処で自分がジト目で見られなければならんのか。 「あ〜の〜な〜、俺がんな危ねーもん喰わせる訳ねーだろ! 恨みがましい目で見るなよ! …ほれ、これ持ってあっち行ってお前も喰え!」 天真は一つ嘆息すると、半ばヤケな雰囲気でずい、とかき氷の器を泰明の目の前に突きつける。 それを黙ったままじいっと見つめ、いっこうに受け取ろうとしない泰明の様子に、天真は僅かに鼻に皺を寄せた。 「嫌なら喰わなくていいんだぜ、別にっ」 「いや。問題ない」 今度は一体なにが「問題ない」のか、天真にはさっぱり判らなかったが、泰明は何やら独りで納得したらしい。 一つ頷くと、それまで彼にしつこく食い下がっていた事など忘れ去ったかのように、彼はアッサリかき氷を受け取った。 そうしてそのまま、泰明はすたすたとあかねと詩紋のいる方へと歩いていってしまう。 あまりの切り替えの速さに茫然とその後ろ姿を見送っている天真を後目に、あかねたちの元へと辿り着いた泰明が、今度は何やら詩紋を質問攻めにしているらしき様子が視界に入る。 ――― 一体、先程までのアレは何だったのか。 (…もしかして…覚えたばっかりの言葉を使ってみたかっただけ、か?) …ぽつん、と独り取り残された体で、天真は何やら少し疲れた気分でそんな事を思うのだった。 +++++ 「それはなんだ?詩紋」 「これですか? …ええとですね、氷に甘い味を付ける調味料…みたいなものです」 彼の視線に、どうやらかき氷の上の蜜のことが気になっているらしい、と察した詩紋が律儀に答える。 …と、ふと思い出したかのようにあかねが何気ない様子で、泰明の隣から詩紋の手元を覗き込んだ。 「そう言えば、詩紋くんのは何味だっけ?」 「ええとね、メロン」 そう言ってほら、と指さされた先にはまだ封を切ったばかりのメロン蜜の瓶。 他にもイチゴ、レモン、みぞれ…などと色とりどりに揃っている辺りは、いかにも料理好きな詩紋らしいが、瓶いっぱいに詰められた蛍光色がずらりと並ぶ様は、見ていると一種異様なものがある。 「何やら面妖な色だな…」 「なんだか体に色がついちゃいそうですよね」 「…染まるのか?」 「まさか。そんなことはないと思いますけど。ああ、でも食べた後、口の中は緑色になったりするかなぁ…」 あはは、と笑いながらそう説明する詩紋。 そうして「なんかこれ、すっごく躰に悪そうだよね〜、でもボク、好きなんだ」などと朗らかにのたまいながら、天使の微笑みを浮かべて、鮮やかなグリーンのかき氷を口に運んでいる少年の口元辺りをじっ、と見遣る泰明。 …暫しの間、泰明はそうして沈黙したまま、思案するように腕を組んでいたが、不意にふむ、と大真面目な貌で頷いた。 「…試してみるか」 「泰明さん…?」 ぽつり、と隣から洩れた言葉に、あかねが不思議そうに首を傾げる。 彼女が見上げている泰明の視線の先には、かき氷を口にしている詩紋の姿。 …と、本能的な危機感か、或いは何とはなしに不穏な気配を感じたのか、当の詩紋が貌を上げる。 その腕を不意に泰明にがしっと捕らえられ、少年の頬が微妙に引き攣った。 「…あの…?」 「…案ずるな、詩紋」 唐突な、端的すぎる言葉に、…え?という小さな声と共に、碧い瞳が瞬く。 そこへ、狙いすましたかのように、泰明が微笑する。 滅多にお目見えしない必殺の微笑に、思わず詩紋は沈黙した。 ――― そして。 「好きなのだろう? …ならば問題ない」 あっさりと言ってのけられた言葉に、訳の判らないまま硬直する詩紋。 てんてんてん…と落とした視線の先には、緑色の瓶を握った泰明の手。 「…え? あのっ、うわっ、ちょ、ちょっと………◎%●※◇#▲@〜!?」 …――――― その後、どのような惨劇が起きたのかは、龍神のみぞ知る…? FIN. 2002.8.30(FRI)UP. < Copyright(c) Yuki Kugami. 2002. / Site 「月晶華」 >
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