―――――眩暈―――――


時は夕刻。
場所は元宮宅。
太陽が今日という日に別れを告げ、大地を見守る役目を月にバトンタッチする時刻。
泰明はその元宮宅の一室で、理由を言われることもなくただ待っていた。
安倍泰明。
稀代の陰陽師、安倍清明の直弟子。
遠い時空の彼方にある都、京で彼女と泰明は出会った。
触れる指先から、絡まる視線、その手が掠めるつま先まで、彼に生命の息吹を吹きかけた少女。
龍神の神子という大任を背負っても、なお、明るく輝くその瞳。

惹かれるのは運命だったといえる。

離れることなど考えられなかった。
離れたらもはや自分は自分でなくなってしまうような錯覚さえ抱いた。
だから京を捨てた。
全てを捨てて、愛しい少女と共にありたいと願った。

まるで泉のように思いが溢れる。
微笑を向けられるたび、その華奢な身体を抱きしめるたび、押さえきれない思いが身体を駆け巡る。

ああ
これが
これが感情というものなのか

と。
あかねとともに現代に帰ることを決め、泰明は一切合切を捨ててこの現代にきた。
龍神の計らいか、はたまた超自然の力が働いたのか、泰明はあかね達の住む世界にやってきた時、何故か住所も職もあった。
嫌味なほどに学歴も申し分なかった。
住所不定無職、という最悪の事態を免れたと知った地の青龍はあとで密かに舌打ちしたという。

そんなこんなでなんとか毎日を暮らして、もう一年になる。
あっという間だった時間。
夢のように過ぎ去った、幸せな時間。
あかねや、天真、詩紋、ランに支えられここまでやってきた。






しかし。






そこまで考えて泰明は隣りの部屋を見た。
隣りの部屋からはドタン、バタン、ガラガラガラガラという妙な擬態音が先程からひっきりなしに流れてきている。
それと同時に、

「あかね!それはそこじゃねーだろ!」

とか

「ええ、違うよ。ここで良いってさっき言ったじゃない」

とか

「その仕切りの上だよ、あかねちゃん・・・・」

とか

「とにかく貸せ!俺がやる!」

とか

「お兄ちゃん!あかねちゃんになんてこと言うのッ!?」

だの、
扉の向こうは大騒ぎ。
一体何をそこまで騒いでいるのか。
泰明は大分表情豊かになったその顔を疑問の文字でいっぱいにして、先程から律儀に呼ばれるのを待っていた。
それは、待て、をされた犬に酷似している。
澄んだ瞳を扉に向け、待つこと一時間。
ようやくあかねが扉を開けて、泰明を手招きした。

「あかね、先程から一体何を」

していたのだ、と言い切る前にあかねが細く美しい指を泰明の唇に当てて微笑んだ。

「いいから。ふふふ、早く行きましょう!」

満開の笑顔でそう言われて逆らえる筈もなく、泰明はあかねに手を引かれて隣りの部屋に向かった。

「さ、泰明さん、早く入って」

期待でいっぱいのあかねに背中を押されて、泰明は部屋に入った。
その瞬間。

「泰明さんの誕生日おめでとう!」

「おめでとう泰明さん」

「オラ、喜べ泰明!」

という声とともに、それぞれが手にしたクラッカーがパパパンと派手な音を立てた。
はしゃいだあかねが、泰明に何故かハワイアンブーケをかける。
部屋は大小さまざまな飾り付けで飾り立てられており、陰陽師である泰明には、なにやら奇怪な呪いのように映った。
原色豊かなハワイアンブーケを首にかけ、クラッカーの撒き散らした長い紙を髪に絡ませたまま、何が起こったのかとっさにわからなかった泰明は、首だけを動かしてあかねに尋ねた。

「・・・・・・・一体何の騒ぎだ」

その言葉にウッとつまる一同。
クラッカーの煙が所在無さげに周囲を漂う。

「泰明さん、今日は何日?」

まさか、とは思いながらも、詩紋が恐る恐る尋ねる。

「9月14日だろう、それがどうした。何か意味のある日なのか」

真顔で返した泰明に天真が引きつった笑顔を浮かべた。
その表情には、そんなこったろうと思った、という気持ちがありありと表われている。



そもそも泰明の誕生日を祝いたいと言い出したのはあかねだった。
プレゼントは何がいいかなあ、と考えるあかねを見るのは微笑ましくもあり、また、少し切ない気もした。

こいつは泰明以外の男なんて、見向きもしねーんだろうけど

時々、告白しておけばよかったとも思う。

気付いてないんだろうな、こいつ、泰明以外の男には見向きもしない上に、その手のことにはてんで鈍いからな

自分の気持ちを押し隠して生きていくのは少し辛いな、と天真は思った。
でもやっぱり少しでもそばにいたいから。
友人でもいいかな、と思える自分にはいっそ笑ってしまうけど。
そう考えながら、天真はあかねを見やった。
視線の先には考えすぎて行き詰まってきたのか、ああでもない、こうでもないと考える少女。
世が世なら「リボンでいいんじゃね―の」とでも言うところだが、あかねは悲しいかな、そういった面では他の同年代の少女たちに大きな遅れをとっており、「プレゼントはリボンをかけた私」とか「午前0時から誕生日」といった、通常彼女が彼氏のために考えるプレゼント意識からは遠くかけ離れていた。
その面があかねらしく、彼女の長所ではあるのだけれど、いかんせん、それでは行き詰まりもするだろう。

つい最近のことを思い出して自分に浸っているため、役に立たない兄を一瞥して、ランが噛み砕いて泰明に説明する。

今日は9月14日。
イコール泰明さんの誕生日。
イコールみんなでお祝いをする日。
なのだと。

「あかねちゃんがお祝いしようって言ったのよ」

「そうなのか」

隣りにいるあかねに目をやると、ほわわ、という言葉が後ろにつきそうなほど柔らかな笑顔であかねが微笑み返した。
その笑顔でぐらりと眩暈を覚えたが、辛うじて踏みとどまると、泰明はその説明を整理した。

「今日は9月の14日で私の誕生日というものだから、お前たちが集まったのだな?」

実も蓋もない言葉に天真が乾いた笑みをこぼす。

「そうなんだけどさあ・・・・・なんかそういわれると実も蓋もないっつーか・・・・・」

なあ?と目線で問い掛けるとあとの3人がコクコクと力強く頷いた。

「そうか、すまなかった」

律儀に謝る泰明に、起こる気力も失せた一同は、なにはともあれ、とりあえずパーティーを始めようということで落ち着いた。

「じゃあ改めて、泰明さん、誕生日おめでとう!」

詩紋が音頭を取ると、ジュースを注いだグラスをあわせる音が宙で重なり合う。
打ち合った拍子に僅かに零れたジュースの水滴が、きらきらと室内灯に反射して虹色の輝きを見せながら、軽やかに舞った。
それから、それぞれの周囲の話や、京で戦った思い出を交えながら話が進んでいくうちに、

「泰明さんは今日でいくつになったんですか?」

とランが尋ねた。
そういえば聞いたことがなかったな、と同意する天真や詩紋に、泰明は

「お師匠の術によってこの世に生を受けてから、4年ということになるな」

と、こともなげに答えた。
その言葉にまたも固まる一同。
ただ一人事実を知っているあかねだけは上機嫌で泰明になっちゃんを注いでいる。
橙色の液体が、妙に生々しく映った。

「4歳・・・・・・?」

「えーと、40歳とかじゃなくて・・・・?」

それはそれでまずいのだが、そういわれたほうがまだよかったと詩紋は思った。

「4年だ」

事態の重さを全く認識していない泰明が、やめておけばいいのに律儀に返答を返す。
まさに一刀両断。一息にばっさりと切られたというのはこのことを言うのだろう。
泰明とあかねの二人を除いて、静まり返る一室。
やがておもむろに天真が立ち上がると、わななくわななく、泰明に問い掛けた。

「泰明・・・・・・、お前、お前それであかねと・・・・・・・・!!」

あかねとなんだ!と詩紋とランは思ったが天真のあまりの迫力に声も出せず、事態を見守る。

今、逆らったら、死ぬ。

それほど天真の目は真剣だった。こげ茶色の瞳が、獲物を狙う猟犬の如くギラリと底光りのする光をたたえている。
どこか鈍感なあかねが「天真君、どうしたの〜?」と、のほほんと問い掛けると、天真はその目をクワッと見開いて絶叫した。

「お前それであかねと結婚するつもりかよ!?」

その言葉に詩紋が飲みかけたジュースをブッと噴き出す。
ランが慌ててその背中をさすりながら天真に向かって怒鳴った。

「お兄ちゃん!何でそこまで話が飛ぶのよ!いいじゃないの、外見上は不都合は何もないんだから!」

と、なかなかひどいことを言いながら詩紋の背中をさすりつづけ、あかねに、ねえ!?と同意を求めるように視線を流した。

「そうだよ、天真君。いいじゃない、平気だよ」

大丈夫だよ、とちっとも大丈夫ではない上に、説得力のない台詞をにこにこ笑いながらあかねが言うと、「そういう問題か!」と怒鳴りつけ、階段を踏み外した理性を震わせながら天真はさらに熱弁を振るう。

「いいか、あかね!年の差を考えろ!お前は17、こいつは4歳だ!年の差は13だぞ!!こいつは世が世なら4歳児のバブちゃんなんだぞ!」

バブちゃんって死語だよ、とようやく息を吹き返した詩紋が弱々しく反抗するが、天真はそんなことは意にも介さない。
一時期、忠犬と八葉内(特に某少将)で陰口を叩かれていた武士の頼久に教えを受けていた天真は、なにやら直情的なところを受け継いでしまったらしい。
もともと短気で直情的だったが、京から戻ってきてさらに眼力に迫力を増し、技に磨きをかけいた。
はっきり言って強い。不必要なほどに強い。
あまり喧嘩は起こさないようになったが、それは迫力を増した天真の眼光に萎縮して誰も喧嘩を吹っかけてこないだけだ。
以前は孤独な一匹狼だったが、いまや友人も出来、持ち前の面倒見のよさで人望も集まり始めている彼に喧嘩を吹っかけても何も得などありはしない。むしろ逆だ。
どこか吹っ切れた今の天真に怖いものなどありはしないのだ。
そのため、詩紋の弱々しい反抗などそよ風程度にしか感じず、鼻息で吹き飛ばして、天真は泰明に詰め寄った。

「とにかく!!そんなことじゃあかねは渡さないからな!!」

嫁にはやらん!!

もはや娘を溺愛する父親と化した天真を、泰明は数秒間凝視したが、あかねを見て、また天真を見て、淡々と言った。

「しかしあかねは私のもので、私はあかねのものだ。ほかに何の許しがいるというのだ」

その衝撃的な言葉に、ランと詩紋の二人が、今度は同時にジュースを噴き出した。
ゲホゲホとむせこみ、二人で互いの背中をさすりあい、汚したところを布巾でふき取っていく。
天真は衝撃のあまり、目をむいてその場に倒れ臥した。
当のあかねは、雰囲気に酔うタイプのため、事の重大さが分からず先程からジュースの入ったグラスを片手にしきりに笑っている。
ただ一人、泰明だけが当初と何も代わらず黙々と目の前に出された食事を食べていた。
料理の得意な詩紋と、泰明のためなら何でもしたいあかねが作った料理は美味しく、そして見た目も完璧だった。
ただ少し、微妙なところでこげているのはおそらくあかね作だろう。
しかしそれすらも愛しい。
それほど一生懸命作った証ではないか。
その焦げた部分が愛を囁いては泰明の体内に吸い込まれていく。
それと同時に室内の毒気を掃除機のように吸い取ったあと、泰明はちょいちょいと、裾を引っ張る力に気付いて隣りに目を向けた。

「あかね」

どうした、と問う。
人が聞いたらあまりの変化に、二重人格かと疑うような甘く優しい声。
あかねだけに向けられる微笑。
この時点で周囲の3人は完全に世界からシャットアウトされている。
それにも構わず甘い雰囲気のなかで話は続いた。

「嬉しくなかった?」

とあかねが尋ねた。暗緑の瞳が不安で揺れている。

「何故」

「だって泰明さん、あんまり笑わないから」

その言葉に少し考えて、泰明はあかねを見る。
出会った時から少しも変わらない強い視線。
その瞳は嘘でけぶることを知らず、人の英知を底に沈めて、変わらずに輝いている。

「誕生日というものをあまりよくは知らない」

「え!?誕生日、知らないの!?」

「そもそも生まれた日にそこまでこだわるのが何故か分からない。年が明ければ皆一様に一つ年をとる。それだけではないか」

その言葉に、あかねは、ははあ、と頷いた。
そうか、そもそも誕生日を祝う習慣にないのか。
それではいきなりのこのどんちゃん騒ぎについていけないのも道理だろう。

「泰明さん、誕生日はね、みんなでお祝いする日なのよ。
ええとね、だって泰明さんが生まれてこなかったら、会えもしなかったし、こうして一緒にいることも出来なかったし、これからも一緒にいられないでしょ?
それに誕生日って一年に一日しかない自分の日だもの。だからやっぱりお祝いしなきゃ」

「そういうものなのか」

「うーん、私も本当はあんまりよく分からないんだけどね。
でも泰明さんのお誕生日はやっぱりお祝いしたい。
だって泰明さんの記念日は一緒にいたいし、お誕生日ってなんだか特別な気がする日だから」

「・・・・・・・あかね」

不意に囁かれた声に、息を呑む。
低い声。
甘やかな響き。
自分の名前が極上のものだと感じる、この一瞬。


眩暈がする


あかねは静かに泰明の次の言葉を待った。

「ありがとう」

「・・・・・・いいえ。・・・・・・・いいえ、泰明さん」

御礼を言いたいのは私のほうなのよ。
好きになってくれて。
現代に来てくれて。
一緒にいてくれて。
言っても言い足りないくらいのことを貴方はしてくれているのに、ちっとも気がつかないのね。
泣き出したいくらい幸せな気持ちになる私のことも知らないんでしょう。
ありがとうなんて、本当は私が言わなくちゃいけないのに。

「ありがとう、泰明さん。あの、ええと、改めて。お誕生日おめでと」

泰明を真っ直ぐに見詰めて、微笑む。
出会った頃から変わらない綺麗な笑顔。
愛しい愛しい、愛しい少女。
息を吸って、短く吐いて、泰明は再び微笑った。

「ああ」





眩暈がするようなこの一瞬。
どうか、
どうか、いつまでも。





忘れ去られた、力尽きて倒れ臥す天真をこっそりと回収し、物陰から詩紋とランはその状況を盗み見て、顔を見合わせて笑い、その場から去っていった。
ズルズルと引きずられる音が廊下で響き、ゴンゴンゴン、という何かが階段に叩きつけられるような音が暫く続くと、その後には静寂が舞い降りて、愛しい二人を包み込む。

時空を越えて掴んだ幸せ。
幸せになって欲しい大事な二人。









どうか、この愛すべき人たちに、最上級の幸せを










おわり。
泰明さん、お誕生日おめでとう。
ついでに私の父上様もおめでとう。
二人とも大好きです。
それはそうと皆様知ってますかね?『リボン』
よくある(あるのか)『リボンをかけた私自身がプレゼント』とか言うサムイあれですね。
天真ファンの方ごめんなさい・・・・・・!!

 
 
月の宮top
 
 
 
 
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