“私の心を明るく照らす
青い夜の力を持って、深く
突然割れた雲の裂け目から
月と夜空が現れる”
――ヘッセ「夜の感情」
差し伸べられる手は真白な繊手
淡く澄んだ瞳は、月待つ夜空の闇の色
貴方がその手を一振り振れば
優しい夜がやってくる
「永泉さん!お誕生日おめでとうございます!!何か欲しいものありますか?なんでもしてあげる!」
帰ってきたばかりの自分の夫に勢いよく抱きつくと、あかねはそう言って無邪気に笑った。
抱きつかれた時の衝撃をまともに正面から受けた永泉は何とかそれを支えきると、あかねの顔を覗き込む。
「あかね、誕生日、とは・・・・・・・・」
そう言いかけて、ふと永泉は思い当たった。
『その人が生まれた日に、おめでとうって皆でお祝いする日なんですよ!』
と、一年前そう言って祝って貰った日を思い出したのだ。
その時にあかねの誕生日を聞いたが、既にその日を過ぎていて。
だから今年はあかねの誕生日をしっかりと祝った。
祝ったのはいいが、そこからの彼は非常に多忙で、自分の誕生日の事はついぞ忘れてしまったのだ。
さらに、翌日は七夕。
宮中では乞巧殿が催されるため、もとからあまり関心をもてなかったということもある。
そんな日を覚えてくれたことに、永泉は嬉しさでくすり、と笑みを洩らした。
「ありがとうございます、あかね。
けれど貴女が覚えていてくださっただけで私は本当に嬉しいのですから、どうぞ、お気になさらず」
「だめです!本当は何か作ったりしてびっくりさせたかったけど、どれも今日には間に合わなくて。
だから今日は永泉さんの欲しいもの・・・・っていっても出来る範囲でになっちゃいますけど、何かを贈ることにしたんです。
永泉さん、だから何か欲しいものありませんか?」
必死になって言い募るあかねは本当に可愛らしい。
永泉はなだめるように頭を撫でると、傍にいた女房たちに視線を移した。
心得た、というように皆静々と下がっていく。
誰もいなくなり、シンとした部屋の中で、永泉はあかねの手をとり自らの隣に座らせた。
そのあかねは、難しい顔をしてどうしようか、何にしようかと頭をひねらせている。
それがひどく嬉しくて、それと同時に少しからかってみたくなって、永泉は気を向けさせるように軽くあかねの手を握った。
「永泉さん?」
「一つ。ありましたよ、あかね」
「本当!?何何?なんですか?」
「羽衣です」
「はごろも?どうして」
不思議そうに瞳を瞬かせた少女に軽く微笑むと、永泉はその華奢な身体を抱き寄せて、優しく口付けた。
「天から降り立った使者には、輝の神から賜った御遣い(みつかい)たる御印の羽衣があります。
貴女のその背に輝く光と同じ、天翔けるための翼が。
けれど私にはそれがない――――あの時、貴女の世界に行くことが出来たのだったら、どれほど良かったことか」
そう言って目を伏せかけた永泉の目の前が、鮮やかな薄桃で埋まる。
ふんわり優しいあかねそのものの色。
一拍をおいてふわりと身にかかった心地よい重みで、彼女に抱きつかれたのだとわかった。
「―――――私ね、永泉さん。場所なんてどこでもいいの。大事なのは永泉さんがいるか、いないか。それだけ。
だから、今は傍にいてくれるから良いんです。私、とっても幸せだし、永泉さんとこうして一緒にいることができるでしょ?」
肩越しに、歌うように囁かれた小さな言葉は拙く、たどたどしい幼い言葉。
けれどその瞳ににじむ色は、紛れもない“女性”の色。
彼女が自分にだけ見せる、自分だけの色。
突如心に押し寄せた幸福感に、一瞬息が止まった。
――――――これほどの人を
手にしている幸せ。
あどけない笑顔が向けられることに対する喜び。
暖かな光が木漏れ日のように自分に降り注いでくる。
彼女は自分に全てを教えてくれた人。
差し込んでくるその光の名は「幸せ」や、「喜び」であったり、時には「不安」や「恐れ」であったり。
それらは全て、この目の前の少女が与えてくれたもの。
これは、夢。
底無い暗(くら)の世界をかきわけ、手をとり連れ出してくれた貴女が見せてくれる、極彩色の夢。
喜びも、戸惑いも、悲しみですら、貴女故と思えばこんなに嬉しく幸せで。
「今、感じる喜びも、辛いことも、この身にかかる困難も、貴女がいるからこそのものです。
貴女がいなければ、私にはもう何もありません。
いかなることも全て貴女がいてこそ、初めて光を放つのですよ、あかね。
――――私の世界は、貴女だけで出来ているのですから。
ですから、これ以上望むことは、もう何も無いのです」
ふと、空を振り仰ぐと、御簾越しに雲に隠れて月が淡い光を放っている。
明日晴れれば良いのだけれど。
―――貴女の喜ぶ顔が見たいから。
そう考えて、いかに自分の世界があかね中心に回っているかということを実感して、永泉は改めて苦笑した。
あかねの柔らかな髪をかきあげ、さらさらと零れる様に優しく微笑む。
―――それに。
なんと月日の流れは早かったことだろう。
もう、あかねがいないときのことなど思い出せない。
あのころ。
全てから逃げ、その瞳を閉ざし、心までもを閉ざして、月日の過ぎ行くのを震えながらただ待ったあの日々。
今、この時。
あかねという唯一無二の人を手に入れ、このように暖かな時間を過ごす日が来るなどと、どうして想像できただろうか。
笑顔が何より愛しくて。
涙をこぼせば抱きしめて。
そんな幸せな時を過ごせるようになるなんて。
「永泉さん?」
見上げる瞳が
その中に宿る輝きが
愛らしく微笑む口元が
その全てが、どうしようもないほどに愛しい
失いたく、ない
「あかね」
「はい?」
「今、幸せですか?」
「?もちろん」
「・・・・・・よかった」
深い安堵に、知らず声が弾んだ。
どうしてわからないんでしょうね?
―――貴女がそう言ってくれるだけで、私の心は幸せで一杯になってしまうのに
本当に欲しいものは“約束“
離れず、ずっと傍に。
いつまでも、どこまでも傍にいるという誓いの言葉。
「あ!!」
突然、思いついたというようにあかねが手を叩いた。
よほどの名案だったのか、雪白の頬を紅潮させて永泉を見る。
「永泉さん!」
「え?」
「この世界では、仲のいい夫婦のことを『比翼の鳥』って言うんでしょう?
だったら、ほら。永泉さんに一つ、私に一つ。
ずうっと一緒にいるんだもの。その羽を二つに合わせたら、羽衣の代わりになりません?」
ぱっと華の綻ぶような笑顔で言ったあかねに、永泉は目を見張った。
「――――どうして貴女は」
いつも私の欲しい言葉をくれるんでしょう
どうしてあなたの言葉はこれほどに私を包んでくれるんでしょう
もうそれ以上は言葉にならなくて、永泉は泣きたくなるほどの幸福感に駆られて、懐深くあかねを抱きしめた。
「十分です、あかね―――ありがとう」
「お誕生日おめでとう、永泉さん。大好きよ」
「私も・・・・・・・・愛していますよ」
―――貴女だけを、いつまでも
低く囁かれた、掠れる声音に微笑むと、二人はどちらからともなく、互いの影を重ねた。
私たちは比翼の鳥
連理の枝
互いに互いを支えあう
どんなに離れても、私たちはきっとまた出会う
―――私たちは二人で一つになるのだから
雲が場を譲り、月が姿をあらわし辺りを照らす
雲間に月
差し込む光
ぬばたまの夜の漆黒の闇
“私の心を明るく照らす
青い夜の力を持って、深く
突然割れた雲の裂け目から
月と夜空が現れる”
それは七夕の前日の出来事
誰も知らない、『真夏の夜の夢』
終わり。
今回初めての試みが二つ。
題名。そしていつも短歌なのに詩。
短歌から何かとってくればいいのに、良い歌が無かったので今回は詩集です。
しかもヘッセ。外人じゃないの〜!!
でもあかねちゃんいるから平気よね・・・・・・・・?(汗)
しかも遠い昔に読んだものなのでうろ覚え。多分あの文であっていますが、間違っていたらすみません!(死)
お誕生日なのにそこはかとなく暗いのはやはり私の性格でしょうか(^_^;;
永泉様、貴方のことを心の底から(笑)愛しています。
どうか今年の今日という良き日が、愛する貴方にとって素晴らしい一日でありますように。