「生まれたての卵」



 陰陽寮。
 星を見、刻を見、またある者は呪を使う。
 その代表ともいえる陰陽師たちは、まだ陽も昇らぬうちから内裏へと足を向けた。
 だが、日が高くなってから陰陽寮へと向かう姿が三人ばかりあった。


「何をしている、ボサッとしてないで早く来い」
 神経質そうな顔をした兄弟子の一人が乱暴に声をかける。
 泰明は自分に向けられた事に気付き、立ち止まっていた足を前に進めた。



「気持ち悪い」
「感情がない」
「人外のもの」
 そう言われ続け、自分に投げかけられる邪険な発言や中傷も、今ではすっかり慣れてしまった。
 泰明はまったく顔色一つ変えず、受け流している。
 いつだったか、兄弟子に疎まれているという事をあかねに知られた時、何故か怒られたことがある。


「ひどい!あんなこと今まで言われ続けてたんですか?そんなのただ泰明さんに実力があるから嫉妬しているだけです。泰明さんもどうして言い返してやらないんですかっ!」
「だが、私が人ではないのは確かだ。感情がないのも・・・」
「まだそんなこと言ってるんですか?泰明さんは人間です。私たちと変わったとこなんてありません。感情だってちゃんとあるじゃないですか」
「しかし・・・」
「そんなに表情豊かなのに、感情がないはずありません!」

 と、凄い勢いで説教をされてしまった。

 実際あかねと出会ってから、説明しがたい何かが自分の中で生まれているのを感じていた。
 その度にその事を伝えると、あかねはやさしく教えてくれる。
 そして、一緒に考えてくれる。
 その時間がとても心地よく感じられ、毎日のようにあかねに逢いに行くようになった。


 だが、最後に逢ってから、もう五日が過ぎた。


 帝に向けられた呪詛を祓うという命が下されて、はや五日。
 泰明と兄弟子の二人で呪詛の元を辿り、嵯峨野の地まで行っていた。
 事が事だけに、あかねの言う「いじめ」とやらには合わなかったが、何処となく重い空気を纏っていた。
 呪詛を祓うまでは良かったが、祓ってからは、いつものように邪険にされてしまう。
 泰明は朱雀門を通り過ぎると、知らず安堵の息が洩れた。


「おや?泰明殿ではないか。こんなところで会うとは奇遇だね」
 不意に声をかけられ、泰明は視線を廻らした。
「・・・友雅」
 友雅はひらひらと手を振って近づいてきた。
「さぞ疲れただろう。君たちのお陰で帝はすっかり元気を取り戻しているよ」
 兄弟子の二人は恐縮したように礼をする。
 一方泰明は、「そうか・・・」と呟いただけだった。
 当然兄弟子たちは、友雅と慣れ親しんでいる泰明の様子が気に食わないらしく、こっそり睨んだりしている。
 友雅も泰明も、そんな様子に気付いているのかいないのか、全くそ知らぬ様子で会話を続けた。
「ああ、泰明殿。早く報告を済ませてくると良いよ。もしかしたら嬉しいことがあるかもしれないよ」
「嬉しいこと?」
「後で分かるよ」
 何か釈然としないものを感じたが、友雅が簡単に言うはずもない事は知っており、それ以上は追求しなかった。
「ああ、そうそう。昨日神子殿に会って話をしていたのだがね、面白い事を言っていたよ」
 友雅は思い出したようにポン、と手を叩く。
 泰明は訝しげに友雅を見上げた。
「君は、『生まれたての卵』のようだとね」
 友雅は一言泰明に言うと、ふふふと笑った。



「はぁ・・・」
 ため息がついて出る。
 陰陽頭への報告が終わると、思った以上に自分がくたびれている事に気がついた。
 床に座って気を抜くと、そのまま眠ってしまいそうだ。
 何しろこの五日間、祓いの前後に僅かに仮眠を取っただけで、ぐっすりと眠ったことはない。
 それでも気力を保っていられるのは、友雅の言った事が頭に引っかかっているからだろう。
 一体何があるというのだ。
 泰明は寮の中を見渡した。
 別段変わったこともない。
 泰明は兄弟子から少し離れて後ろに続き、自分の詰め所へと足を進めた。

「きゃっ!・・・ごめんなさい」
 兄弟子に誰かがぶつかったらしい。
 ちらりと視線をあげると、よほど美しい女性であるのか、二人とも甲斐甲斐しく助け起こしている。
 ・・・が、何処となく聞き覚えのある声。
 二人の隙間から覗いた女性の姿を見て、泰明は心臓が止まるかと思った。

「・・・神・・・子?」
 泰明は搾り出すように声を出した。
 その声に気付いた兄弟子たちは、泰明の方を振り向いてぎょっと目を見開く。
 何故驚いているのか、自分でも薄々分かる。
 今、物凄く戸惑った表情をしている自分がいる。
 それほど、この状況に自分自身驚いていた。
 美しく着飾り、かもじという付け毛をしているあかねは、いつもに増して綺麗だった。
 それよりも何故このようなところにいるのか。
 泰明は動くことすら出来ず、ただあかねに見入っていた。

「泰明さんっ?」
 あかねは泰明の姿を認め、パッと笑顔になる。
 兄弟子たちの間をすり抜け、十二単を着ていることも忘れているかのようにパタパタと走り出す。
「泰明さん、お帰りなさい」
 あかねは勢い良く泰明の首に抱きついた。
「み、神子・・・」
 あまりの勢いに息をつめ、ふらつく足を何とか押しとどめる。
 あかねはぎゅうっと強く抱きしめると、手を緩めて泰明を見上げた。

 兄弟子たちは、呆然と様子を伺っている。
 一方、泰明も呆然とあかねを見ていた。
「何故、こんなところにいるのだ」
 ここが陰陽寮ということを思い出し、泰明は微かに眉を寄せる。
 あかねはニコニコと笑みを浮かべたまま泰明を覗き込んだ。
「永泉さんがお兄さんのお見舞いに行くって言うから、頼んで一緒に来ちゃったんです。良くなったって聞いたから今日辺り泰明さん帰ってくるかも知れないなーって思って」
「帝に会ったのか?」
「え?・・・まあ、一応・・・」
 あかねがキョトンとすると、泰明の表情が次第に曇ってきた。
 あかねは、あれ?と首を傾げる。
「泰明さん・・・、もしかしてやきもち妬いてるの?」
「・・・・・・」
 泰明はだんまりを決めたまま、ふい、と視線を逸らした。
 やきもちというものがどういうものかは分からないが、あかねが他の男と会うのはおもしろくない。
 たとえ帝といえど・・・。
 もしあかねのこの姿を見て、心惹かれたらと思うと心配でならない。

「もう、泰明さんってば。・・・心配しなくても私が大好きなのは泰明さんだけなんだからね」
 あかねはいつまでも黙ったままの泰明の頬をピシャッと手で挟んで振り向かせる。
 泰明はいつもと違うあかねの様子に戸惑いを感じる。
 どう違うと聞かれると何とも言い様がないのだが、何というか、妙に積極的・・・というか、大胆というか。
 いつもなら、泰明が微笑んだだけで真っ赤になるほどなのに・・・。
 ぐるぐると頭を廻らせていると、ぐいっと手で顔を引かれた。
 チュッと小さな音を立てて、あかねの唇が頬に触れる。

「み、・・・神子・・・?」

 泰明は微かに上擦った声を上げ、一瞬顔を紅潮させた。
「泰明さん、デートしましょ?」
「は?」
 泰明は密かにパニックになりながらも、頭の中を整理してゆく。
「・・・で、ぇと・・・?」
 あかねが発した意味不明の言葉。
 泰明は首を傾げてあかねを見た。
 あかねは子犬のような瞳を向けてくる泰明に、思わず頬の筋肉が緩んでくるのを感じながら、必死で押さえる。
「あ・・・、えっと、それはですね」
 あかねはちょいちょい、と泰明を手招きする。
 泰明は一瞬躊躇ったが、そっとあかねの頭の位置まで屈み込む。
 あかねはボソッと一言呟いた。

 次の瞬間、泰明はもう一度微かに頬を朱に染める。
 あかねは泰明の様子を見て、いたずらっぽく微笑んだ。

「いいでしょ、泰明さん」
 あかねは楽しげに言う。
 泰明は困ったように瞳をあかねに向けた。
「しかし勤めが・・・」
「あ、それなら大丈夫。・・・ほら」
 あかねは泰明の目の前に一枚の書状を広げた。
 その内容に、思わず泰明はぽかんと口を開ける。
 開いた口が塞がらない、というのはこの事かもしれない。

 果たして、書かれていた内容とは。
『安倍泰明を七日間龍神の神子に貸し出す。安倍晴明』
 といった文面だった。

「あと帝様にこんなものまでもらっちゃった」
 もう一枚の紙をぴらっと泰明の目の前に出す。
『安倍泰明なる者は、七日間龍神の神子と行動を共にすべし。此れ勅命である。今上帝』
 と・・・。

 泰明はくらりと眩暈を起こした。

 恐るべし、龍神の神子。


 泰明は呆れを通り越して、笑いが込み上げてきた。
 帝にこのような勅命を出させることが出来るのは、おそらくあかねだけだろう。
 泰明は小さく笑った。

「やはり神子には敵わぬな・・・。分かった。全てはお前の望むままに・・・」
 泰明は蕩けそうなほどに甘い笑みを浮かべ、あかねを促した。
 稀にしか見れない泰明の必殺技を目の当たりにして、あかねはつい見入ってしまったが、我に帰ると少し照れたように微笑み返した。


 哀れにも、兄弟子たちの存在は既に忘れ去られている。
 しかもラブラブな気を当てられながら、気がつけばあかねに引っ張られていく泰明に道を譲っていた。
 ポカンとしていつまでも二人の後姿を見ている兄弟子たちの背後に、不意に人影が現れる。
「さすが神子殿。あの泰明が彼女の前では子供のように感情豊かになる。そう思わないかね?」
「せ、晴明様・・・!」
 兄弟子たちは、晴明の姿を見て、飛び上がらんほどに驚きを露にした。
 一方晴明は相変わらず飄々としている。
 暗に今までの泰明に対する言動の事を言っているのだという事を感じ取り、二人はバツが悪そうに体を小さくした。




「天気も良いし、風も気持ち良いし・・・。やっぱり糺の森は景色が綺麗ですねー」
 あかねは泰明の腕に自分の腕を絡ませ、上機嫌で歩いていく。
「神子、ここに何かあるのか?」
 泰明にはあかねが何を考えているのか分からない。
 デートの意味は分かったが、何故糺の森に来る必要があるのだろうか。

 陰陽寮を出たあと、あかねは「ちょっと待ってて下さい」と言って牛車に戻り、何やらゴソゴソしていたかと思うといつもの水干に着替えて出てきた。
 確信犯・・・。
 こそっと呟く。
 おそらく晴明にでも、泰明の帰って来る日時を占ってもらっていたのだろう。
 何とも用意周到である。

「この辺で良いかな・・・」
 あかねは僅かに木漏れ日が掛かる平地を見つけ、徐に泰明を引っ張って座らせた。
「はい。じゃあ、横になって下さい」
「横に・・・?」
「言う通りにして下さい!」
 泰明は、あかねの迫力に大人しく従った。
 ころんと横になると、あかねが泰明の体をずらし、膝の上に泰明の頭を乗せた。
「とりあえず・・・、寝てください。今にも倒れそうなくらい顔色悪い上に、私につき合わせて本当に倒れちゃったら洒落にならないもん」
 あかねは泰明の髪をそっと梳いた。
「本当は屋敷で休んだほうが疲れも取れるんだろうけど、今日はどうしても二人っきりで過ごしたくて・・・」
 あかねは小さく呟く。
「何故・・・」
「泰明さん、今日が自分の生まれた日だって気付いてました?私たちの世界では、誕生日は特別なもので、家族とか友達とか大好きな人とかとお祝いしたりするんですよ。・・・私も泰明さんが生まれてきてくれて本当に嬉しい。だから今日は、絶対泰明さんと一緒にいたかったの」
 あかねは泰明の顔を覗き込んで、ニッコリと笑った。
 泰明の胸がふわりと温かくなる。
 泰明は暫くあかねを見つめていたが、ふと友雅の言った言葉を思い出した。
「神子、友雅が言っていたのだが、私は『生まれたての卵』なのか?一体どういう意味なのだ?」
「え?・・・ああ、それはですね。言い換えれば純真無垢な存在というか・・・。関わりをもつ者によって、良くもなるし、悪くもなるって意味です」
「・・・そうなのか?」
「だから、生まれたての卵って言うのは、何ものにも染まっていない綺麗で透明な魂・存在っていう意味で使ったんですよ」
「・・・・・・」
 泰明はぼんやりと空を見上げた。
 今まで穢れと言われた事はあっても、綺麗で透明な存在だと言ってくれた者はいない。
 自分もずっと穢れた存在だと思っていた。
 それをあかねはいとも簡単に覆してくれる。

 やはり、神子には敵わない・・・。

 泰明は手を伸ばすと、あかねの首に手を絡ませた。
 引き寄せるように力を入れると、あかねが戸惑ったような表情をする。
 しかし泰明が微笑むとあかねの体の力が抜け、泰明の顔にゆっくりと近づく。

 二人の影がそっと重なった。



 コトリ・・・、と泰明の腕が地面に落ちる。

 あかねがゆっくりと顔を上げると、あどけない顔で眠る泰明の顔が映る。
 あかねはくすくすと声を押さえて笑った。

 『生まれたての卵』のもう一つの意味。
 それは母性本能をくすぐられるという意味。


 いつも振り回させて、ドキドキさせられて・・・。
 でも、たまにはドキドキさせてやりたい・・・。
 せめて、子供のあなたが顔を覗かせたときくらい。

 これからもずっと守ってあげる。

 あかねは泰明の髪を撫でながら、優しく笑みを浮かべた。


 泰明は夢の中で、そんなあかねの言葉を聞いた気がした。






<創作秘話(・・・後書きともいう)>
泰明さんBD企画フリー創作
です。
あかねちゃん、確信犯です。ええ・・・。(笑)
いつもとは逆で、今回はあかねちゃんが泰明さんを手玉にとってます。
本当に、母性本能を擽られるというか、何というか。

副題「泰明さんは本当は感情豊かなのよ!よろしくて?」でした。


by.雪夜


月の宮・Utop




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