桜を見ると思い出す。 この平和な時間が嘘のようなあの時空<とき>の彼方の出来事を――― ふと、気がつくと風に運ばれて薄桃色の花弁が舞っている。 俺は込上げてくる懐かしさにそれに見惚れずにはいられなかった。 どんなに時間が経ってもきっと、忘れることなどできないのだろう。あの心の痛みと虚しさと、そして、それを通して心を通い合わせた仲間達の―もう二度と逢えない―ことを。 「天真くん―――。」 桜の降り注ぐ幻想的な風景に魂を奪われたかのように立ち尽くす俺を呼ぶ声が聴こえる。 「天真くんてっば。」 それは徐々に近付いてきて、この桜の花と同じ色をした髪を持つ一人の人の姿となった。 「何、ぼぉーとしてるの?何度も声かけたんだよ。」 「ああ、わりぃ。ちょっと思い出してた…」 そう言うと、そいつは少し神妙な顔つきをして俺に言った。 「私も…私もね、思い出すんだ…ふとした瞬間にね…」 忘れられる筈はないから、どんなに時が経っても皆のことを忘れられる筈ないから…、そいつもやっぱりそう思っているに違いない。 俺は頷き、曖昧に返事をする。 「ああ…」 風に花弁を散らせる桜を二人見上げていた。 俺はそいつに思い出したように話し掛けた。 「久しぶりだな。」 そいつは自分の思いに囚われていたのだろう、一瞬驚いたように俺を見上げ、そして、応えた。 「ん、そうだね…」 あの頃は… 顔を見ない日はなかった。だからかもしれない、毎日会うからこいつの変化にも気付いてやれたし、毎日会うからそれが当たり前で、特別なことなんてしなくても良かった。唯、こいつが苦しんでいないか、もしそうなら少しでも助けてやれないか…それがその頃の俺の全てだった。 あの時から、あの経験をしてから普通の生活に戻って三年経った。 それは結構長い時間だと思う。あの頃のままではいられないほどに。 俺とこいつは高校を卒業して、別々の時間を過ごしていた。 俺は一時随分荒れた時があったが、あの経験を通して、こいつとあの仲間たちを通して心の中に燻っていたものが洗い流されたかのように吹っ切れて自分を見詰めなおすことができた。全然期待していなかった高校生活もそれなりに楽しんで、将来やりたいことをみつけてがむしゃらに勉強して、周囲には無理だと匙を投げられていた進学も無事果たしていた。 こいつは時折何かを思い出したように遠くをみつめるようになっていたが、それでも持ち前の純粋さをなくすことなく三年という時を過ごし、俺とは別の学校に進学していた。 毎日、あんなに顔を合わせていた時が嘘のように無理をして時間を取らなければ会うこともない。そんな関係にいつしかなってしまっていた。 大事な仲間だというのは変わりない。 けれど、俺たちの進む道は別れてしまったということなのかもしれない。 そのことに改めて気付かされた俺は胸がちくりと痛むのを感じた。 こいつと離れてしまうことなんて考えたことなんてなかった、あの頃はずっと一緒にいられるのだと信じていた。 いや、今だって本当は諦めたくない。 けれど… どうして、そんなことこいつに言える? 今もまだこんな風に思い出して泣きそうな表情<かお>をしているやつに。 見ているこっちが痛いようなそんな表情<かお>をしているやつに。 「忘れてしまえ。」というのは簡単だったのかもしれない、だが、あの頃傍にいた俺は知っている。こいつとあの男がどんな絆で結ばれていたのか。 「諦めてしまえ。」と言うのはこの三年という時間を考えればできないことはなかったのかもしれない、だが、今も信じつづけるこいつにそんなことは言えなかった。 「で、何か用か?」 我ながら意地の悪い質問だと思いつつ、鈍感なこいつに仕返ししてみた。 あの時間を共有した仲間はこっちに俺を含めて四人。残りの仲間には逢いたいと思っても逢うことなどできない。このうち、俺の妹は親が2年もの間行方不明だったということを本人が思いつめないようにと慮って親戚を頼って遠くの街に転校させて、今もそちらにいて時折手紙が来るくらいだし、金の髪の人懐っこい後輩は祖父の国に高校進学とともに留学している。 だから、あの経験を分かり合えるのは俺しか身近にいないことなど承知している。 そんな俺の胸の内など知る由も無いこいつは遠くをやはり今も遠くを見詰めながら応える。 「ん…特には何もないんだけど…」 躊躇いがちに不安なのだと言う。 あの時間は忘れられないモノをくれた筈なのに時間が経つにつれてあれは幻だったんじゃないかと… 切なげに細められる瞳はあの男を想ってのモノ。 どんな絆があったって、どんな約束があったって、この三年という時間は短い時間ではない。それに反してあの時間はたったの三ヶ月という短さだったのだから。 そして、あの時間を信じられるのは四人しかいない、あれが夢だったと言われてしまえばそうなのかもしれないと納得してしまえるほど儚い時間。 だからこそ、俺が必要だったのだろう。 確かにあの時間はあったのだと… 「…そうか…」 二人、桜の花弁が舞い散る様を見ていた。 それがどれほどの時間だったか分からない、時計は必要なかったし、気にもかけなかった。 唯、黙って見ていた。 「そろそろ、帰るね…」 何時の間にか茜色に周囲が染まる時間になっていた。 結局、俺はこいつに今も、三年経った今も何も言えなかった。 できるのは馬鹿みたいに見守ってやることだけだった。 二人並んで家路についた。 こうしてこいつを送るのも久しぶりだなと思いつつ。 何度も通った桜並木の通学路、ここを抜けると――――あの噂の井戸がある場所が近い― 視線がその方向を知らず見てしまう。 それはこいつも同じだった。 そして、そんな自分に溜息をついてしまうのがいつものことだった。 だが――― その方向を見てこいつが驚きと歓喜の入り混じった叫び声を上げた。 桜色の髪を、あの頃よりは長くなった髪を靡かせながら走っていく。 俺はその後ろ姿をただ見送っていた。 激しくなった風に散った桜の花弁が吹雪のようになり隠そうとしたが、確かに俺はその風景に翡翠色の長い髪を見た。 FIN. |
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くまきちさまが配布していらした、フリー創作です。 現代へ還ってきたあかねちゃんの、「いつかきっとまた逢える」という想いと、 時が経ち記憶が薄れていくにつれて、ふと覚える不安…。 そんなあかねちゃんの気持ちを思って、 何も言わずにただ、見守り続けてきた天真くん。 そして、最後に時を越えて逢いに来る泰明さん…。 泰明さんとあかねちゃんの絆とそれを見つめている天真くんの思い、 切なさと、優しさと温かさがぎゅっと凝縮されていて、 とても素敵な余韻を感じられます。 泰明さんとあかねちゃんの想いの強さもじんとしますが、 三年の間の天真くんの精神的な成長ぶりも素敵ですvv くまきちさま、素敵な創作をありがとうございました。 by.陸深 雪 |