――――― 叶(かなえ)の環 ―――――









§









…――――― いつか崩れ去ってしまう、幾百の形ある何かよりも
泡のように儚く消えてしまう、幾千の言葉よりも
信じられる確かなものが、あればいいのに ―――――…







§









「泰明さん、何か欲しいもの、ありますか?」

仕事を終えて邸へ帰り、部屋へと足を運んできたばかりの彼の顔を見るなり突然そう訊ねてきたあかねに、泰明は首を傾げながら訝しげに彼女を見つめた。

「どうしたのだ、いきなり」
「今日は泰明さんのお誕生日でしょう?」
「誕生日? ――― ああ」

 瞳をきらきらさせながら嬉しそうに言うあかねの言葉の意味にようやく気がつき、泰明は得心がいったように小さく声を洩らす。

 彼女の世界では生まれたその日を祝う習慣があるのだと前に聞いたことはあったのだが、それは自分とは縁遠いものに思えていたため、すぐには判らなかったのだ。

「そう!だからね、お祝いをしたいんです。何かないですか?」

 勢い込んで彼の顔を覗き込むあかねに、泰明は少し困惑したように眉を寄せる。
「…祝うと言っても、私はその日に「生まれた」わけではないが」

 律儀にそんな風に訂正する泰明に、今度はあかねが僅かに顔を顰めた。

「泰明さんてば、またそんなこと言って。「生まれた」か「創られた」か、なんて関係ないの!今日っていう日が無かったら私は泰明さんに逢えなかったんだから、お祝いしたいんです!!」

 こちらを見上げながら一生懸命、力説するあかねの可愛らしい様子に、思わず泰明は頬を綻ばせる。

「あかね」

 名を呼び、細いその腕を捉えると泰明は自分の傍へ彼女を座らせる。

 元々人気の少ないこの邸では夜ともなるとその姿も無く、ただ静かな虫の音だけが辺りに響いている。
 …膝の上に両手を重ねてきちんと座ったあかねが、呼びかけたきりじっとこちらを見つめている泰明にどこか心配そうな表情を浮かべる。

「 ――― 泰明さん?」
 いつまで経ってもなかなか口を開かない泰明のことが気になって、小さく声をかけた、その時。


「…私は、お前がいれば何もいらない」


 深い、染み通るような声が耳朶に響いた。
 真っ直ぐに見つめてくる琥珀色の瞳に、あかねは返す言葉に詰まってしまう。
 自分の鼓動が早くなり、次第に顔が上気していくのがわかる。

 いつも純粋な気持ちを向けてくれるそのひとの言葉に、なんの誇張も偽りも無いことはよくわかっていた。
 そしてきっと泰明が「物」を望んだりはしないだろうということも、本当は始めから薄々わかってはいた。
 ――― それでも、どうしても何かをしてあげたかったのだ。

「…ええと、あの、嬉しいんですけど…」

 胸の動悸のせいもあって、しどろもどろになりながらどうしようかと必死に考えを巡らせていたあかねは、ややあって、あ、と言ってやおら立ち上がった。

「あかね?」

 驚いたような泰明の声を余所に、あかねはそのままぱたぱたと部屋の奥に据えられた厨子棚へと急いで歩み寄り、引き出しから何かを探し出すと、それを手にとって引き返してくる。
 そしてすとんと泰明の隣にまた腰を降ろすと、少し恥ずかしそうに彼を見上げる。

「手を、出してもらえますか?」

 言われるままに手を差し出すと、あかねはその上にそっと小さな物を載せる。
 …泰明の掌の上にあったのは、蔦のような模様の彫り込まれた銀色の細い環だった。

「これは?」

 今まで見たことのないそれに視線をやりながら尋ねる泰明に、あかねが頬を赤く染めて、指輪というものだと小さく答えた。

「私のいた所では…ずっと傍にいて欲しいひとにこれを送るんです。二人で同じものを、それぞれ交換するの」

 そう言って、あかねは自分の手の中にあるもう一つの指輪を見せる。
 それが自分に渡された物と同じ意匠であることを見て取った泰明は、あかねの顔へと視線を移した。
「何か、意味があるのか?」
「意味っていうより…気持ちかな。一緒にいて欲しいっていう気持ち…それを込めるんです…」
 言いながらあかねは自分の手の中の指輪に視線を落とした。

 それはさして高価な物ではなかったが、京へ召喚された時に身につけていた物のうちの一つだ。
 同じ物を二つも持っているのは、気に入っているからというただそれだけの理由だった。
 ――― それをまさかこんな風に使う事になるとは、思ってもみなかったけれど…。

 くすぐったいような恥ずかしいような複雑な気持ちで顔を上げたあかねは、照れたような笑みを浮かべて泰明を見る。

「だから、これは私の気持ち…です」



 …気がつくと、泰明はあかねの華奢な躰を腕の中に抱きしめていた。

 あかねさえ傍にいてくれればいいと言った自分へ、彼女は精一杯の想いで応えてくれたのだ。
 どんなに傍にいると言っても、いつも心の何処かに燻っている不安。
 それを少しでも軽くしようと、ただ言葉で伝えるのではなく、こうして ――― 想いを託して、確かなものとして見せようとしてくれている…。



「…あかね、私はどうすればいい?」

 あかねの柔らかな朱鷺色の髪に頬を寄せながら泰明がそう言うと、彼女は翡翠の双眸を大きく見開いてこちらを見上げてくる。

「え?」
「傍にいて欲しいと想う者は、同じものを交換するのだろう?…だが私は何も持っていない」

 泰明の言葉にあかねはうーん、と言いながら眉を顰め、…そしてふと何か思いついたように俯けていた顔を上げた。
 その輝く澄んだ色の瞳が、泰明の視線を捉える。

「じゃあ………もう一つのこの指輪を、泰明さんが私に下さい」
「それはもともと、あかねのものだろう」
「いいんです。私が欲しいのは…泰明さんの気持ちだから」


 腕の中で、あかねがはにかみながらにこっと微笑む。
 その様子が堪らなく愛しくて、泰明は瞳を細め、強く彼女を抱きしめる。




――― “傍にいて欲しい”、そんな言葉では足りない。


その瞳も、笑顔も、言葉も、そして ――― 心も。
いつも自分だけに向いていて欲しいと願っているのだから。

初めて自分の胎(うち)を照らし、この心を目醒めさせたひとを。




――――― もう喪えるはずが、無い。






 …泰明はあかねから受け取った指輪を暫くの間じっと見つめると、そっと口元に近づけ、それに唇を触れさせるようにして一言二言、小さく何かを呟いた。

「泰明さん?」

 一体何をしているのだろうと、不思議そうにあかねが呼びかける。
 泰明はそんなあかねに視線を戻すと、静かに答えた。


「…呪をかけた」
「えっ?」


 思いもよらなかった言葉にあかねは大きな瞳を瞬かせる。
 真摯な眼差しの奥に揺れる切なげな、けれど強い感情の色を見て、あかねはどきりと心臓が音を立てるのを聴いた。


 まるで縫い止められたかのように視線を外すことができない。


 ………長いような短いような一瞬の後、ふっと、その琥珀の双眸が伏せられる。

「お前が私から離れて行かぬようにと…」


 紡がれた言葉に、あかねは一瞬言葉を失った。
 そのまま彼を見つめる少女に、泰明は低く掠れる声で囁く。


「受け取ってくれるか?」 


 ――― あかねは答えの代わりに細い両腕を伸ばすと泰明の首筋に抱きついた。
 そして声もなく、大きく頷く。


 呪は、陰陽の力を司る者が使うことの出来る呪い。その言葉に宿る力で、相手を縛ることが出来るもの。
 そして、呪となるほどに毅(つよ)い泰明の想いが、この指輪に込められている…。

 そう思うと泣きたいほど切なく、幸せな気持ちになる。

 ………けれど。
 今日は泰明の誕生日から、自分が泰明に何かをしてあげたかったのに、これではあべこべだ。

「…ずるい。泰明さん…」

 暫くの沈黙の後、泰明に抱きついたままのあかねの桜色の唇からぽつりと小さな声が洩れた。

「狡い、とは?」
「私には呪なんてかけられないのに。私だけ泰明さんの呪にかかっちゃうなんて、ずるい…」

 泰明の顔を覗き込むようにしながら、顔を朱に染め、少し拗ねたように呟くあかねに、泰明は目を瞠った。
 その白皙の面に浮かぶ表情が次第に驚きから笑みへと変わり ―――…そして。
 形の良い唇から、甘く優しい響きが零れる。


「そんな心配は無用だ。私はとうにお前の呪に囚われている…」





――――― この心が生まれたあの時から。
ずっと。







「それなら、同じね?私たち…」


 泰明の湛えた透明な微笑みに見惚れていたあかねが、不意にふわりと微笑んだ。
 見つめ合う瞳に、互いの微笑みが深くなる。



「…泰明さん、お誕生日、おめでとう…」


 潤んだ瞳で見つめながら、あかねが柔らかな声で告げる。


「ありがとう、あかね ―――…」






 答える声は仄かな熱と共に空気に溶けてゆき…。






 ――――― そっと二人の唇が重なった。























【 FIN.】





2001.9.14(FRI)UP.
【 泰明さん、お誕生日おめでとう〜vv 】


< Written by Yuki Kugami. 2001. / Site 【 月晶華 】 >

 泰明さん生誕記念創作第二弾です。
 構想二時間という突発物なのですが、愛だけは詰まってます!!(笑)
 泰明さん、お誕生日おめでとうございますv



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