§









 ――― これは戦だから、誰も傷つかずにいる事なんて出来ない。
 でも、出来る限り皆が傷つかなければいいと思う。


 祭りの夜、そう言って微笑んでいたのを思い出す。


 …それは、平和な世界で穏やかに育った少女らしい、優しい思い。

 現実はそれほど優しくはないと知りつつも、自分と同じく戦場に身を置きながら、そう願う事の出来るその素直さが眩しかった。
 人に希望を与える存在とは、無意識の内に未来を信じさせる事が出来る者を指すのかもしれない。










その黄金色の髪の如く、日輪のように路を照らす姫。





――― 君は、今もそう、願っているのだろうか。
その身も心も、疵だらけになりながら。









§









「あなたを、信じてもいいの?」
「我が君の御心のままに」


 まるで千尋の逡巡を総て承知しているかのように、微笑を浮かべたまま柊は答える。
 思えば、疑わしい要素は幾らでもあった。
 軍を率いる岩長姫や忍人などは、常世のレヴァンタに軍師として仕えていた柊に痛手を負わされた事もあるだろう。
 千尋がこうして戦の直中に身を置くことになったのも、元はと言えば、彼が自分をあの世界から連れ戻したからだ。
 そもそも、かつて中つ国を裏切ったという柊が、何故、今になって自分の前に現れ、こうして仕えてくれているのか。その理由すらも千尋はいまだに知らなかった。
 柔らかな口調と優雅な立ち居振舞いで真意を掴ませない柊。そうして彼はいつも、千尋の問いかけをはぐらかしてしまう。今と、同じように。
 それでも柊が千尋に忠誠を誓うと言ったあの時、信じられると思ったのは、その瞳を見たからだった。
 喜びと憐憫、悼みと決意の入り混じった隻眼が、哀しいほど真摯に自分を見つめていたから。
 千尋は、ゆっくりと瞳を開く。
 今、この絶対的に不利な状況を柊が一体どうやって覆すつもりなのか、千尋には考えも及ばない。しかもその策の詳細は自分にさえ明かせないという。


 ――― 不安は、無いと言えば嘘になる。
 自分は余りにも何も知らなさすぎる。
 けれど相手に何かを望むなら、まずは自分から行動で示さなければならないのではないか。

「…最初に、あなたを仲間にすると決めたのは私だった」

 ぽつりと少女の唇から零れ落ちた呟きに、柊は僅かに目を瞠る。
 その彼の瞳を千尋の蒼眸(そうぼう)が真っ直ぐに見返した。


「…信じるよ。あなたを」








§









「全軍! これから火神岳に向かいます」

 千尋の声を合図に、武官と仲間達が隊列を組み上げる。程なく、整った隊から火神岳へと進軍を始める中、腕を組んで暫し何事か思案していた忍人は、一人軍に背を向けると、反対方向へと歩き始めた。

「忍人さん? 何処へ行くんですか?」

 後方から隊の先陣へ戻ろうとしていた千尋が、それに気付いて呼びかける。

「狗奴の者ならば、気配を消し、山中を移動できる。…何人か兵力が減るが構わないだろう?」
「え? 構わないだろうって、あの」

 訳が判らず問いかける千尋に、忍人は無言のまま背を向ける。が、ややあって思い直したかのように振り返った。

「君は、君のすべき事をすればいい」

 一言、そうとだけ告げると、忍人は千尋の問いには答えぬまま、再び踵を返す。

「あ…」

 忍人の言葉の意味に気を取られている間に再度声をかける機会を逸した千尋は、小さく溜息をつく。
 何か思惑があるのだろうが、忍人もまた柊同様、千尋にそれを語るつもりは無いようだった。

(忍人さん…)

 歩み去る忍人の凛と張り詰めた背に一抹の不安を覚えながら、千尋は軍の後を追った。
















【 誓星〜壱章より抜粋 】





2006.9.14(SUN)UP.


< Written by Yuki Kugami. 2004-. / Site 【 月晶華 】 >