それから半刻ほど後 ――― 左京北辺、安倍晴明邸。
久々に仕事から帰ったという泰明を労(ねぎら)おうと、彼の師である安倍晴明は泰明の住まっている西の対へと向かっていた。
――― さて、一体どんな成り行きがあったのやら…。
邸内の雑事を任せている式神から、泰明があかねと式神らしき者を連れて戻ったと聞いた晴明は、何とも苦笑を禁じ得ない心境だった。
仕事が終わり、自分への報告が済んだかと思うと休む間もなく、あっという間に龍神の神子の処へ直行してしまい…左大臣邸から帰ってきた途端にこの事態なのだから、それも無理はない。
泰明があかねを連れてきてしまったのか、あかねが自分からついてきてしまったのか(二人の性格とこれまでの経験からすると、そのどちらも否定できない)は分からないが、今頃左大臣邸では大騒ぎになっているのではなかろうか。
とは言え、そもそも何でも真面目に受け取ってしまう愛弟子に、「れっきとした左大臣家の姫となった神子姫に妻問いするにはそれなりの身分が必要だろうね」、などと言って仕事をせっせとこなすよう焚きつけてしまったのは他ならぬ自分だった。その手前、泰明が仕事に忙殺されていた間、泰明だけでなくあかねも随分淋しい思いをしていただろう、などと思うと今の泰明の状態にはさすがの晴明も少々、責任を感じていたし、今回の行動も必ずしも責められないのだ。
加えて当の本人は全く気がついていないようだが、いい加減、泰明の疲労が目に見えてひどくなってきていることも気に掛かる。
何しろ、もともと自分の躰のことなど殆ど気遣わない質なのだ。このままではいずれ参ってしまうのは明らかだった。
そろそろ何とか手を打って無理矢理にでも休ませなければならないか、とは思うのだが、特にあかねに関わることで泰明に言うことを聞かせるのはなかなか骨が折れることだった。
あかねが今ここに訪れているのなら、この際、このまま暫くの間こちらにいてもらった方が泰明も素直に休む気になっていいかもしれない…などとつらつらと考えながら歩みを進め、泰明の住まう対へと到着した晴明は、中に入るなり常日頃沈着冷静な彼にしては珍しく、一瞬、その場で固まった。
――― そこには、柱に背を預けるようにして眠る泰明と、その傍らで彼の手を握ったまま、その肩に寄りかかるようにして眠り込んでいるあかね、そして二人を見守るように楚々として座している、女房装束を纏った妙齢の美女の姿があった。
しばし、どうしたものか、といった困惑した表情で立ち止まっていた晴明だったが、二人の方へ視線をやると、ふっとその顔が和やかになる。
…まるで話し疲れてそのまま眠り込んでしまったかのように、仲良く肩を寄せ合っている二人の、小さな子供のように無邪気な表情…。
夕日に照らされて微睡んでいるその顔は、とても安らかでこの上なく幸せそうに見えた。
起こすのが気の毒に思えるほど気持ちよさそうに熟睡している様子に、晴明は思わず瞳を細める。
…今回の自分の心配は、どうやら杞憂に終わったらしい。
その事に安堵しながら、視線を朱鷺色の髪の少女へと移す。
…龍神の神子。その務めを終えた今もその胎(うち)に龍神の力を秘めている娘。
こうして見ている限りではまだ時に幼さも見せることのある少女だが、その身に纏う気と魂からは、確かに深い慈愛と優しさが感じられる。
この少女がただその傍らに在るだけで、泰明は癒されているのかもしれない…そんな思いを抱きながら、晴明は泰明の翠緑の髪に手を伸ばした。
そして二度、三度と、指先でゆっくりとその頭を撫でる。
「…良い夢を見なさい、泰明…」
――― 決して醒めることなく、色褪せることもない「現」の夢を。
穏やかな微笑と共に囁くと、晴明は後は頼む、というように二人の傍に座っている花精…紫於音を見、そっと足音と気配を消して立ち去ってゆく。
お前はこれからどんな風に変わってゆくのだろう…と楽しげに考えながら。
§
………そんなことなど露知らず眠り続ける二人の姿を包むように、柔らかな紅の陽射しが降り注ぐ。
遙か遠くの山並みにかかる靄が、一日の終わりを告げる鮮やかな夕陽を受けて次第に深い濃紫色に染まってゆく。
…――― 涼やかな秋の風が、夢路を辿る二人の髪をさらさらと靡かせていった ―――…。
FIN.
2001.9.27(THU)UP.
To.橘 桜様vv
〈
Written by Yuki Kugami.2001 〉