BGM from nerve. ["Tell a thing〜piano solo version〜"/mds1_ps.mid] (c)K.Kusanagi. 1997-2001.
 
 
 
夢の護り人
 
 
《T・月華の雫》
 
 
 
 
§ 
 
 
 
 
 
 
月を仰ぐ、朧気な姿
彼方を恋う、遙かなる眼差し
その瞳を彩るは、限りなく澄んだ雫
 
 
 
 
 
何を憂うのか
何を悼むのか
 
 
 
 
 
その真白き心に秘められし想いは何処へ還るのか―――…
 
 
 
 
 
 
 
§
 
 
 
 
 その日、あかねは四神の一、東を守護する青龍にかけられた鬼の呪詛を解くため、天真、永泉の二人と共に情報収集に朝早くから探索に出ていた。
 
 藤姫の占いで、呪詛の在処の手がかりを掴めると言われた音羽の滝へ向かい―――そこで呪詛のある方角を感知した天真の言に従って、西の方角にあるそれらしき場所を急ぎ足で回っていたのだが、その途中、彼らは吉祥院天満宮で、突然ヤタガラスに襲われたのだ。
 
 
 
 つい先日、ここの怨霊は祓ったばかりだったため、怨霊の襲撃を予期していなかった三人は初めのうちこそ戸惑ったが、そこは日頃、始終怨霊と対峙する生活を送っている慣れのためか、すぐに気分を切り替える。
 
 
 
 
 
 ―――ヤタガラスの属性は火。
 
 
 それを見越して、永泉があかねから送られる五行の力で流撃双邪の術を放つ。
 術によって生み出された渦巻く水の奔流が怨霊へ向かい、岩をも打ち砕かんばかりの苛烈な流れがその躰を包み込む。
 
 
 かん高く掠れた、空気を切り裂く悲鳴のようなヤタガラスの鳴き声があがった。
 だが怨霊は、かなりの気力を奪われ、おぼつかなげな足取りでふらりとよろめきながらも、いまだその場に佇んでいるのが水の壁越しにも判る。
 
 次第に弱まってゆく水流の中で、すっとこちらに向けられた瞳は怒りとも憎しみともつかぬ色を浮かべて、ぎらぎらと輝いている。
 
 
 
 
 
「くっそ、しつこいな」
 
 
 
 
 
 その様子を見た天真は身構えてあかねを背に庇いながら、舌打ち混じりにそう洩らす。
 永泉も術を放つために組んでいた指を離すと、眉宇を顰めながら天真の隣へと移動し、怨霊の次の行動を警戒するように緊張した面持ちを見せる。
 
 
 
 
 …と、ヤタガラスは燃えるような猛々しい赤い瞳を鋭く光らせると、唐突にその大きな翼をばさりと羽ばたかせた。
 羽ばたきの生み出した風に乗り、怨霊の放った気の塊が、あかねを護るように立つ二人に向かって、すさまじい勢いで放たれる。
 
 
 
 
「―――っ!」
 
 
 
 
 そのあまりの速さに避けることが出来ず、二人は反射的に顔を覆った。
 それぞれに襲いかかる怨霊の邪気が、鋭い刃となってあちこちを切り裂き、二人の躰のそこかしこに浅い朱線が走る。
 
 
 
 
 
「天真君、永泉さんっ!」
 
 
 
 
 
 あかねが悲鳴のような声を上げる。
 
 
 
 それには構わず、永泉よりも一瞬早く体勢を立て直した天真は印を結んだ拳を振り上げると、振り向きざま自らの気を思い切り怨霊へ向かって叩きつけた。
 
 
 
「これでも喰らえっ!!」
 
 
 
 次の瞬間、ドウッと烈しい音を立てて、天真の放った青白い気の光に怨霊が呑み込まれた。
 その余波から庇うように、腕を広げてあかねの前に立った永泉の紫紺の髪が、熱風に煽られて大きく後ろに靡く。
 
 
 
 
「あっ…!」
 
 
 
 
 永泉の肩越しに届く風の勢いと眩い光に、思わず額に手をかざしたあかねの唇から小さく声が洩れる。
 逆光の中、彼の白い手の甲に薄く筋を引く紅がひどく鮮やかに視界に焼き付き、あかねは一瞬、眉を歪めた。
 
 
 
 そんな彼女の目の前で、光の中で苦しげに悶える怨霊の気力が、今の天真の攻撃でぎりぎりにまですり減らされていく。
 
 
 
 
 
「今だ、あかね!!」
「神子、封印を!」
 
 
 
 
 
 天真と永泉の強い口調に、あかねは二人の方を見―――向けられる視線にきりっと唇を噛みしめて頷くと、何かを振り切るように素早くヤタガラスの方へと向き直った。
 一歩前へと進んで直接怨霊と対峙し、毅(つよ)い瞳で怨霊を見据えながら、あかねは袂から封印符を取り出す。
 
 
 
 そして、それをそのまま前方へとかざす。
 
 
 
 …すうっ、と一つ大きく息を吸い、あかねは呼吸を整えた。
 気を集中させるためにそっと瞳を閉じると、自分の望むように解き放てるよう、体内に巡る五行の力をとらえ、精神を高めていく。
 瞬時に高まってゆく気に応じて、あかねの躰の中から神気が金色の光となって零れはじめる。
 
 
 ―――――そして。
 
 
 
 
 
 
 
 
「めぐれ、天の声。響け、地の声。彼の者を封ぜよ!!」
 
 
 
 
 
 
 
 
 凛とした声と共に、正面へ突き出された両の掌に眩い金色の光が宿った。
 真っ直ぐに正面を見つめる翡翠の双眸の前で、放たれた一条の光は宙を走り、複雑な円陣を描く。
 光によって編み上げられたそれは、一瞬のうちに怨霊を捉えるとカッと強い光を放ち、包み込むようにしてその動きを封じ込めた
 円陣の発するその清浄な光は、残り少ない気力で抗うものの発する黒々とした邪気を吸い込むようにして、徐々に薄れさせてゆく。
 
 
 
 
 …ややあって、あかねの神力によって邪気を祓われた、かつて怨霊であったものは、力尽きたかのようにぴたりと抵抗を止めた。
 怨霊の赤い瞳から、潮が引くようにして狂ったような怒りの色が消えてゆく。
 そして、ヤタガラスはすうっと引かれるようにして、あかねのかざす封印符の中へ光の珠となって吸い込まれていった。
 
 
 
 それと共に、周囲を照らしていたあかねの神気が次第に収まり―――その場に漂っていた穢れがゆっくりと晴れてゆく。
 
 
 
 
彼女の手元には、つい先ほどまでそこにいたヤタガラスの封じこめられた一枚の封印符が残されていた。
 
 
 
 
 
「やったな、あかね!」
 
 
 
 
 
 無事式神として封印できたことに、小さく安堵の息を洩らしたあかねに、天真が明るく声をかけた。
 うん、と応えるあかねに笑みを返すと、ぽん、とその朱鷺色の髪に手を軽く載せる。
 やや遅れて近寄ってきた永泉も、にっこりと柔らかな微笑みを浮かべてあかねを見た。
 
 
 
「頑張りましたね、神子。無事に封印できて良かった…」
 
 
 
 だがあかねは二人にじっと視線を注ぐと、笑みを返すことなく不意に顔を曇らせる。
 
 
 
「…ごめんね、天真君、永泉さん」
 
「えっ?」
 
 
 
 ぽつり、と小さく呟かれた言葉に、永泉はきょとんとし、天真はああ?と一瞬首を傾げる。
 ややあって、あかねの視線が自分たちの躰の傷に向けられていることを悟ると天真は苦笑した。
 
 
「こんなもん、大したことねぇよ。ただのかすり傷だろ?…気にすんなよ」
「神子がご無事なら…よろしいのです。あの、本当に大丈夫ですから…」
 
 
 頬にうっすらと残る血の痕を指先で拭いながら優しく言う天真に続いて、永泉も慌ててそう付け加える。
 あかねはそんな二人の様子にくすっ、と小さく笑みを零した。
 
 
 
「…うん。ありがとう」
 
 
 
 あかねの表情が和らいだことに安堵し、永泉は内心で胸をなで下ろした。
 そんな様子を見ていた天真がくしゃり、とあかねの髪を乱暴に撫でる。
 
 
 
「よし。じゃ、今日はそろそろ帰るか?」
「それが良いようですね。そろそろ日も暮れてきたようですし」
 
 
 
 あかねの頭から手を離し、そう言って振り向く天真に、ゆっくりと沈み始めた太陽へ視線をやりながら永泉は相づちを打つ。
 
 
 
 
 先行くぞ、と言いつつ軽く伸びをしながら先に立って歩き出す天真の後ろ姿を見、あかねを促そうと隣へ視線を転じた永泉は、あかねがふと笑みを消し、瞳を伏せるようにして僅かに視線を落とすのを見た。
 
 
 
 どこを見るでもなく、ただ地面へ視線を向けるあかねの横顔が一瞬ひどく苦しげに翳ったように見え、永泉は思わず一歩足を踏み出しかける。
 
 
 
 
「―――神…」
 
 
 
 
 ………だが、次の瞬間くるりと軽やかに振り向いた少女の顔からは、その翳りは既に消え去っていた。
 
 呼びかけようとした永泉に向けられたあかねの顔は、もういつも通りの柔らかな微笑みを湛えていて、彼は声をかける機会を見失う。
 
 
 
 
「帰りましょう?永泉さん」
 
 
 
 
 ふわりと笑って紡がれる明るい声も、いつも通りで。
 永泉は一瞬、先ほどのあかねの表情は自分の見間違いだったのかもしれないと錯覚しそうになった。
 
 
 だが、ほんの一時のこととはいえ、ただの錯覚として片づけるには、その苦しげな横顔はあまりにも鮮明で―――…。
 
 
 
 
そう、ですね…」
「永泉さん?」
 
 
 
 
 どこか歯切れの悪い口調に、あかねの方が何か違和感を感じたらしい。
 小首を傾げるようにして、彼女は永泉の瞳を覗きこむ。
 翡翠の瞳には案じるような色が浮かんでいて、永泉は内心で自嘲しながらゆるく頭を振った。
 
 
 
 
「何でもありません…。行きましょうか」
「………?」
 
 
 
 
 釈然としないらしいあかねが、問うような眼差しを向けてくる。
 ………永泉は、ただ曖昧な微笑を浮かべて応えることしかできなかった。
 
 
 
 
 
 
 
§
 
 
 
 
 
 …その後、結局あかねにあの時のことを直接尋ねる事も憚られ、永泉は天真と共に彼女を藤姫の館まで送り届けるとそのまま館を辞去した。
 
 しかし、彼の心の中にわだかまりは消えることなく残り、どうにも気分を晴らすことが出来ないまま、思うに任せて歩いていた永泉はいつの間にか神泉苑までやって来ていた。
 
 
 
 
 既に日は完全に沈み、急速に薄闇に染まりゆく空にはほっそりとした月が姿を現し、星々も仄かな光をちらちらと瞬かせ始めている。
 さわさわと緩やかな風が頬を撫でてゆく中で、満々と水を湛えた湖の淵に佇みながら、永泉は胸の中から消えない澱のような重苦しい感情をどうすることも出来ず、持て余していた。
 
 
 
 
 
 ―――なぜか、昼間の見た光景が、いつまでも脳裏に焼き付いたように離れない。
 ついこの間、あかねとここで話をした時には、いつもと変わりなく明るい瞳をしていたのに…。
 
 
 
 
 
 ふう、と一つ溜息をつくと軽く頭を振り、永泉は袂から龍笛を取り出した。
 心を落ち着けるかのように一度ゆっくりと瞳を伏せ…そして僅かに瞼を明けると、そっと笛を唇に当てる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 …夜の静寂を縫うように、高く澄んだ旋律が辺りへ響き渡った。
 
 
 
 
 
 煌めきを宿した妙なる調べが空気に溶け、あらゆるものを癒し、清めるようにして静かに広がってゆく―――…。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 だが、常ならば心を落ち着けてくれるはずのそれも、いまは全く功を奏さなかった。
 その音色の導く静けさとは裏腹に、瞳を瞑り、無心になろうとすればするほど、心の中にはっきりと、瞳を翳らせた哀しげなあかねの顔が浮かび、気もそぞろになってしまう。
 
 
 
 
 
 ―――何故、こんなにも、心が騒ぐのだろう…。
 
 
 
 
 
 その心のざわめきは、ただ単に彼女のことが気にかかる、というものとは違うようにも感じられたが、自分自身でも何とも説明のしようがなく、永泉は戸惑いを覚える。
 
 
 
 
 
 ………一体どうしてしまったのだろう、自分は。
 
 
 
 
 
 答えの出ない堂々巡りのような思考に囚われながら、それから逃れようとでもするかのように永泉は一心に笛を奏で続ける。
 
 
 
 
 
 
 ―――と。
 
 
 
 何かがふわりと心に触れてくるような気配を感じ、永泉ははっと瞳を開くと瞬時に気を張りつめ、周囲へ視線を巡らせた。
 
 
 
 
 
 
 …笛の音の止んだ宵闇には、微かな虫の鳴き声と風の揺らす葉擦れの音以外、何も聞こえない。
 
 緊張し、常よりも鋭敏になった感覚に、自らの躰の刻む鼓動が全身に響き渡るかのように大きく反響する。
 
 
 
 
 
 
 
 ―――息の詰まるような静寂。
 
 
 
 
 
 
 
 …だが暫くして、そこに仄かに混じるよく馴染んだ気配を永泉の鋭い感覚は感じ取る。
 
 
 
 
「この、気は―――…」
 
 
 
 
 意識に触れたものの放つ気の様子に軽く眉を顰めつつ、己の内なる感覚に従って、永泉はその気配の感じられる方へと視線を転じる。
 自分の右手の前方、そう、ちょうど湖の真上に当たる辺りへ。
 
 
 
 
「…!?」
 
 
 
 
 そこに在る存在に、永泉は大きく瞳を見開いた。
 
 
 
 
 
 細く弧を描く上弦の月のか細い光を背に、華奢な人影が浮かび上がっている。
 優しくなだらかな線を持つその姿は、明らかに少女のもの。
 柔らかな髪もその纏う藤紫の衣も、風に攫われるかのようにどこか頼り無くゆらゆらと揺れ―――色白の面には、苦しげにも見える表情が浮かび、伏し目がちの大きな瞳は、何処ともしれぬ闇の中にぼんやりと向けられている。
 
 
 
 
 ―――そのひと、は。
 
 
 
 
 
 
 
「神、子―――…?」
 
 
 
 
 
 
 
 信じられないというような、微かな声が永泉の唇から洩れる。
 
 
 
 
 
 ………それは確かに、龍神の神子、その人だった。
 だが、淡い月影の下、その朧気に浮かびあがる姿はひどく儚げに見える。
 それもその筈、彼女は実体ではなく―――その躰はまるで陽炎のように半ば透き通り、月光を受けて鏡のように輝く水面の上に浮かんでいたのだ。
 
 
 
 
 
 一体何があったというのか。
 
 
 
 
 半ば混乱しかかりながら、永泉はその人影へと意識を集中させる。
 
 その姿からは、弱々しくはあったがいつも通りの澄んだ、優しく温かい気が伝わってくるばかりで、一片の悪しき気も感じられない。
 動揺する精神を宥めながら意識を凝らし、土御門の方角に在るあかねの気を探ってみるが、彼の八葉としての感覚は、神子の身には何ら危機は迫っていないことを伝えてくる。
 
 
 
 
 
 ―――どうやら、鬼の仕業というわけではないようだ…。
 
 
 
 
 
 ひとまず安堵した永泉は、一つ小さく息をつくと、再び目の前の幻影に視線を戻した
 
 
 
 
 では、この幻のようなものはなんなのだろう?
 
 
 
 
 その姿も、纏う気配も間違いなくあかねのものだ。それは見誤りようもない。
 但し、本当にそこに存在しているのかと危ぶむほど、頼り無い気配ではあったが。
 その気の澄みようは、あやかしなどと間違えるべくも無かった。
 けれどもそうであるからこそ、かえって永泉は困惑した。
 
 
 
 
 何か言葉を語る様子もなく、漂うようにその場に佇む少女の幻。
 その視線はただぼんやりと何処ともつかぬ辺りを漂い―――彼女の目の前にいるのが誰であるのか、全く認識すらしていないようだった。
 
 
 …しかし何より、ひどくつらそうな、哀しげな表情を浮かべているのが、永泉の心に漣(さざなみ)を起こす。
 
 
 
 
 昼間、あかねの苦しげな様子を垣間見てしまったからかもしれない。
 その時の表情と、いま目の前にいる幻の少女の表情があまりにも酷似しているように思えて、永泉にはどうしても、このままただの幻と捨て置くことは出来なかったのだ。
 
 
 
 
 
 永泉はその幻影にじっと紫紺の瞳を据えたまま、見上げるようにして静かにそっと声をかける。
 
 
 
「神子、なのですか…?一体、何が………」
 
 
 
 なんと言えばよいのかもよくわからないまま、胸に湧き起こる焦りとも痛みともつかぬ思いに動かされるようにして、永泉は迷うような口調で言葉を紡ぐ。
 
 
 
 幻のような少女は、その声に何か引かれるところがあったのか、ふと、視線を上げたようだった
 
 
 
 
 
 ―――――紫紺と翡翠の二対の宝玉が、はっきりと互いを捉える。
 
 
 
 
 
 透き通るような翡翠の瞳を向けられ、永泉は幻と知りつつも鼓動が一瞬、早くなるのを感じる。
 
 
 その瞳の奥底に微かに眠る、見知った凛とした輝きに、永泉は目の前の幻が確かにあかねに繋がる「何か」であることを確信した。
 
 
 
 
「どうして―――…」
 
 
 
 
 知らず知らずのうちに、そんな問いが口を突いて出る。
 
 
 
 
 何故、彼女の姿をした者が、このようなところで哀しそうな表情を浮かべていなければならないのか。
 今、自分の目の前で起きている出来事は、彼女と一体どのような関係があるというのか。
 
 
 
 
 
 …尋ねたいことはいくつも脳裏に渦巻いていたが、何故か口にすることが躊躇われて、うまく言葉にすることができない。
 それは、目の前の少女とあかねとの何がしかの繋がりを確かに感じるとは言っても、永泉自身、まだどこかで半信半疑だったせいなのかもしれなかった。
 
 
 ………そう、何より、彼女のこのような哀しげな表情など、これまで見たことが無かったのだから。
 今日、あの時までは―――…。
 
 
 
 
 
 
 
 永泉はただ戸惑ったように為すすべもなく立ち尽くす。
 視線だけは離すことが出来ず、喰い入るように少女の幻へ向けたままで。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 …その時、不意に少女の瞳がきらりと月光に光った。
 優しい曲線を描く白い頬を伝うようにして一つ、二つと転がり落ちた光の粒は、すうっと夜の闇の中に溶けて儚く消えてゆく。
 
 
 
 
 
「―――…?」
 
 
 
 
 
 それが、少女の両の瞳からこぼれ落ちた涙の雫なのだと気づくまでに、僅かな間があった。
 
 
 
 
 
 
 ―――神子が泣いている…?
 
 
 
 
 
 
 そう思った途端、不意に心が締め付けられるのを感じ、永泉は居ても立ってもいられず、気がつくと幻のそばまで駆け寄っていた。
 目の前に在る頼りない存在が、あかねとどのような繋がりを持っているのかは解らない。
 だが、その人と同じ姿、同じ気配を纏う者が涙を零す様子は、それだけで彼の心を乱すのには十分だった。
 
 
 
 
 
「神子!!」
 
 
 
 
 
 永泉は少女へと夢中で白い指先を伸ばした。
 だが、捕まえようとするかのように延ばされた手が届くよりも早く、少女の幻影はゆらり、と揺れると、すうっと闇に溶け込むようにして急速に薄らいでゆく。
 …そのどこか哀しげな瞳だけは、じっと永泉へと注がれたままで。
 
 
 
 少女の幻の向けてくる視線が、彼の胸にさらなる痛みをもたらす。
 
 
 
 
 
「待って…!」
 
 
 
 
 
 だが、永泉の必死の呼びかけも虚しく、まるで初めから存在していなかったのかのように、その姿はあっという間にかき消えてしまった。
 
 
 
 
 幻の存在していたあたりをただ茫然と見つめて立ち竦む永泉の視界を遮るように、風が彼の紫紺の髪をかき乱しながら、ざぁっと音を立てて通りすぎてゆく。
 
 
 
 
 
 
 
 
 後に残されたのは―――…。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「……………」
 
 
 
 
 永泉は無言のまま、自分の掌へ視線を落とす。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ―――姿を消す瞬間に、少女の幻が残したもの。
 闇に飛び散り、光を弾く、透き通った小さな結晶。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 胸にやるせないような痛みが走り、永泉は優美な面を僅かに歪める。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ………掌に残る一粒の透明な雫だけが、そこにいたものが夢でもただの幻でもなかったことを物語っていた―――…。
 
 
 
 
 
 
 
 
To be continued….
 
 
                                                       2001.8.17(FRI)UP.
 
 
 
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(Now writing….)
 
 
 
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